最期とMP

 実家の犬が行方不明になった。
 前日の夕方、母が散歩に連れ出したところ突然倒れ、慌てた母が家に戻そうと犬を引きずったところ*1何とか立ち上がって家まで歩いて戻ったそうなのだが、ずっと苦しそうに息していたとのこと。翌日獣医に連れて行くつもりだと聞いていたのだが、朝犬小屋を見たら姿が消えていたらしい。問うと「呼吸が苦しそうだったから」と、父が鎖を離したのだそうだ。以上は直接父母と話をした妹からの報告。父は「『死期を悟った犬は姿を消す』と言うからな……」と妙に納得した様子で、母は「逃げちゃったんだからしょうがないでしょ!」と逆ギレ気味だったらしい。妹は「父は多分、犬の最期を看取りきれなかったから(犬の死に自分が直面しなくて済むように)鎖を離したのだと思う」と言っていた。私もそう思う。深い愛着を持った対象をまた失う*2苦しさを恐れて、犬を放したような気がしてならない。
 どの年齢まで犬を飼えるかどうかは、犬を世話する体力が続くかどうかが問題だと思っていたけれど、犬の最期を見届けられる精神力を持っているかどうかも重要な要素なのだな。私は何歳まで犬と暮らせるだろうかと考えることがしばしばあるけれど、考慮すべき力は体力と経済力以外にもあるのだ、と今回の出来事で悟る。そして、行方不明という形で犬を失うことのつらさを今味わっている。

 そうされることは犬にとっては嫌だったかもしれないけれど、遺体をきちんと弔ってやりたかった。そうできなくなった故に、私は犬を失った実感も納得も持てないし、うっすら父母を恨んでもいる。今は電話すると絶対恨み節を吐いてしまうと思うので、父母に電話すらしないでいる。

*1:犬は20kg越えなので母が抱えるのは到底無理なサイズ。

*2:参照:先代犬を喪った時の父に関する記事。https://hamahn.hatenablog.jp/entry/20120322/p1