諸行無常
実家の犬の遺骸が見つかったと、母から連絡があった。実家の裏庭の藪にあったらしい。遺骸は顎の骨、尾の毛の一部くらいしか残っておらず、首輪が落ちていたのでわかったらしい。晩秋なのに2週間経過した程度にしては遺体の分解速度が速いと思ったら、「他の獣に食われたのだろう」と母。実家は野良猫もイタチも狸も出るので、スカベンジャーには事欠かない。
死んで他の獣に食われるというのは、実に自然の摂理に適ったことだと思う。しかし、愛着の対象がそのようにして無くなっていくことはどうにも辛い。命の儚さ、万物の無常さを感じるというのはこういうことなのだろうか。方丈記や日本霊異記に漂う静かな憂鬱さや、ネアンデルタール人が死者を弔った訳が少しわかったような気がする。
私の感傷は脇に置いておくにしても、犬が死んでから(あるいは痛みを感じなくなってから)食べられたのであれば良いなあと思う。年が明けたら会いに行こうと思っていたが、結局叶わなかった。