(旧)ジャニーズは突然に
youtubeを見ていたら、ブリッブリに跳ね上がって踊る男子の動画に遭遇する。動きがとてもきれいで、体のパーツを細かく分けて可動させているのが素人目でもわかる。かなり鍛錬している人だろうけど、溌溂と物凄く楽しそうに踊るのも琴線に触れる。うわー、この人いいな! と調べたら、snow manの佐久間さんという人だった。まさかジャニーズに琴線掴まれるとは……。
ジャニーズ事務所がジャニーズ事務所として君臨していた時代、ジャニーズ所属タレントの動画は管理がとても厳しくてyoutubeにうっかり流れて来ることなどなかった(少なくとも私は見たことがなかった)ので、まさかこんなところでエンカウントしてしまうとは思わなかった。普段ニュース番組とドキュメンタリーと保護犬番組と鉄道旅番組ばかり見ている極北のユーザーのところに何故ジャニーズが流れてきたのか謎。まあパーソナライゼーションを経て流されているはずの動画間広告も陰茎増大術だったりするので、youtubeの動画自体のそれもまだまだなのかもしれない。
ポンコツ・パーソナライゼーション - ハマハナ帳
いくつか同じテーマの動画を見ると「これもあるよ、こういうのもあるよ」と立て続けにyoutubeは関連動画を出してくるので、ここ二日くらいどっぶり佐久間&snowman動画を見る流れになってしまっている。でアレコレ見た結果、「ダンスには鷲掴まれっぱなしだがそれ以外は特に」という結論に至る。繰り返し見ていたら楽曲も惹かれるようになるかと思っていたがあまり。
しかし14年とか長い下積みを多感な思春期~青年期早期に経験するというのは、どういう影響をもたらすものなのかと思ったりする。TV番組の切り抜き等見ていると、どうにかして印象を残そうとする佐久間さんの気迫が凄くて五月蠅く感じることもあるんだけど、彼の背景を踏まえるとまあそうなるわなとも思う。
多分現時点のsnow man楽曲で一番人口に膾炙している曲。聞いていると知能低下しそうなんだが、ダンスナンバーの頭悪そうな感じって一種の伝統芸なのかしら。
「平成犬バカ編集部」片野ゆか著
昨年(2025年)にNHKで放映していたドラマ「シバのおきて」の原作本と聞いて、正月休みの楽しみとして借りておいた。「シバのおきて」は仕事帰りの朦朧とした頭*1で車内で音声だけ部分的に聞いていた。結局どんな話なのか全然知らないのだけど、雑誌「Shi-ba」に関するノンフィクションだと聞いて食指が動いた。
2000年代のブラックな働き方とか言葉の乱暴なありがち上司とか、読み始めると何だか懐かしい雰囲気が甦ってくる。そうそう、特に出版関係は激務で着替えて寝る以外はほとんど編集部にいるイメージだった(何人か知り合いが出版社で働いていた)。皆カラダかココロ、あるいは両方壊してたな。
「犬のことは犬に訊け」というスタンスとか、獣医師監修の健康記事とか同意できることは沢山あるし、マタギ特集とか今でも読みたくなるトピックも多いのだけど、どうして柴犬にコスプレさせようと思ったのか、どうしてもわからないし同意もできない。あの神経質で狭量な犬にそんなことをさせるのは、大分犬は苦痛だったと思うのだけど……。編集部員の飼い犬(柴犬)たちがたまたま鷹揚なレア柴犬だったのかと思っていたら、編集長の柴犬は編集部がすっかり嫌いになってしまっていたそうで、編集部の方角に向かうだけで嫌がって鳴いていたらしい。やっぱり嫌がってたんじゃん! 何かイイ話っぽく書いているけど、やっぱり負担は大きいよな、だって柴犬だもの。
柴犬カフェとか柴犬に噛まれて問題犬扱いする人とか、柴犬の性質をよく知らないと思われる色々の背景に、この雑誌があったんじゃないかとすら思ってしまった。90年代-2010年代の日本のペット事情の変化とか興味深い話も多いんだけど、柴犬虐待と言われても仕方ない話だなーと複雑な思いで読了。あと、自覚していた以上に私は「柴犬=噛む」の図式が脳内に確立しているのだと今回初めて気がついた。「シバのおきて」の映像を見る機会があった時に、『ありがとね、福ちゃん(編集長の飼い犬で、はいりの犬ではない)』と声をかけておもむろに犬を撫でた片桐はいりを見て、(噛まれるぞ!)と反射的に思ったし。
ところで、犬のコスプレって何が楽しかったり面白かったりするんですかね。私は未だに物凄く気持ち悪いというかグロテスクに感じてしまって全然馴染まない。私自身は犬を屋内飼いだし寒い日は服着せて散歩させ、調子を崩せばすぐ受診、ドッグランやら連れていく乳母日傘な犬の飼い方をしている。しかし子どもの頃の犬とのふれあい*2は今も私の犬観に色濃く影響を及ぼしていると思う。恐るべし。
「国宝」
話題で異例のロングラン*1が続くこの映画をようやく見てきた。ファーストデー(割引日)ということもあるのだろうが元旦からほぼ満席。11-14時と昼食時間をまたぐ時間帯の上映なので、朝食を遅めに食べて、かつ排泄を催さないように……と色々支度して行ったのだけど、沢山の人がポップコーンやチュロスやポテトや飲み物を買って持ち込んでいるのを見て、(昼時の空腹を狙ってこういう上映時刻にしているのか……)と気づいてなんか感心する。ちゃんと商売してる。
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大ヒット映画だけあって普通に面白かった。冒頭の少年喜久雄が新年会の余興で踊る姿の艶やかさからいきなり目を奪われてしまう。もうその後は一途に芸を追求する姿、舞台の美しさ、少年二人の複雑な思いとそれを抑えた友情と、見どころに目を奪われっぱなし。カメラの動き方で、少年が歌舞伎と舞台にのめり込んでいく高揚や人間国宝女形の怪物ぶり*2が伝わってくる。舞台を移動する時の衣擦れの音が耳障りだったが、舞台の臨場感は伝わった。
そしてこの映画、悪役がいない。裏切る恋人、八つ当たりしてくる女将さん、のらりくらりと躱して役不足の役しか渡さない預かり先など、色々嫌なことは起きるのだけど、各人の思いや事情があることはわかるので、観ていて「こいつが悪役だな!(憎)」みたいな気持ちにならない。ひたむきに芸を磨いて師匠の名跡を継ぐまでになり、しかし血縁による後ろ盾がないことで不遇の立場に置かれる喜久雄。ひたむきに努力し、歌舞伎以外は何も要らないと願をかけ、実力があっても報われない辺りは人生の苦みを感じる。ドサ回りの公演先で酔客に殴られ、ヤケ酒を飲んで化粧も衣装もボロボロのままビルの屋上で踊る姿はひたすら美しかった。ただ、人が踊っているというよりは、芸が個人の意思を凌駕して躍らせているような、そういうゾッとする凄みのある場面だった。
また、芸と人が自分に報いてくれないとしても踊り続けることしかできない、業のようなものを感じた。このことでふと思い出したのは、25年位前に聞いた漁師の話だった。諫早湾の干拓事業が始まった時に漁場を奪われた漁師が、受け取った補償金でより立派な船を買ったという話。「補償金で別の生計の立て方を模索しなきゃならないのに!」と、その時は間の抜けた話だと笑ったけど、今となっては違うのではないか、これまでの生き方から漁師はそうするしかできなかったのだろうと思う。合理性や理屈ではない、こういう「そうすることしかできない」ことに思いを巡らせられるようになったのは歳を取ったおかげのような気もする。
この映画のおかげで実際の歌舞伎に関心を持つ人が増えて御新規さんが増えているという話も聞くが、それもむべなるかなと思う映画だった。あと、正月や新春の場面が多い映画だったので、期せずして元旦に観に行けたのはホント良かった。何故初夏に公開したんだろう? 季節を感じるものはその季節に観る方が断然良いのに。私はラッキーだったな~と、ホクホクしながら帰路に就いた。
夜が忙しい
本格的に寒い季節になった。今年は「毎年恒例・初冬の憂鬱」が軽いので割と楽に過ごしている。しかし入浴がきつい。脱衣所が寒い、風呂場が寒い、どちらも暖めて準備のはするのだけど、そもそも脱ぐことを考えるだけで寒くなるので脱衣所に行きたくない。そこでリングフィットをして一汗かいてから入浴することにした。「はー暑い! 汗かいたー!」で入浴欲求を高めて脱衣所に行けば、スイスイ服が脱げて最高。
ただこの方法、全体的に凄く時間がかかる。まずゲームが置いてある部屋を暖めて、暖まったら次に脱衣所を暖めつつ30分程度リングフィットを行う。それから風呂に入って髪を乾かして……とすることになるのだが、夜はこの他に自分と犬の夕食、犬の散歩もしなければならぬ。また犬の健康を考えると食後2時間は散歩に行けなくなってしまう。
かくして私は帰宅するとまず急いで自分の食事を済ませてリングフィットをする部屋を暖め、犬の散歩に行き(30-50分)、帰宅したら犬に餌を食わせて脱衣所を暖め、リングフィットをして(30分)、入浴して髪を乾かすことになる。入浴準備としてリングフィット時間も追加されることになったので、自分の保清にトータル90分くらいかかっており、何か全然気の休まる時がない。我ながら一体何をしているのかと思うが、今のところこれが一番心理的負荷なく入浴できる方法なので、何とかやりくりしながらこなしている。
しかし何故こんなに寒いんだろう? 木造だから寒いのかといえばマンション住まいの時も福岡住まい(現住地よりかなり暖かかった)の時も「寒くて風呂に入りたくない問題」には悩まされ続けてきたから、寒がる自分の問題のような気もしてきている。別に冷え性というわけでもないし、何故こんなに寒がるのか自分でもよくわからない。皆どうしているのかしら。やっぱり気合で寒さ堪えて入浴しているのかしら。
夏の終わり
職場にいる、干支一回り下の男子*1と電話で話をしていると、背後で音楽が聞こえる。何を聞いているのか訊くと、フジファブリックの『若者のすべて』だと言う。1年くらい前にヨルシカがカバーして再注目されているんだとか。「この曲を聴くと、”夏の終わり”って感じがするんですよねー」という男子。へー。
Youtubeで聴いてみると、既視感のある音楽、聞いたことあるなあ、あるぞ。でも全然自分の中には残らない。あとヨルシカのカバーの方が映えるね。
私の”夏の終わり”歌は何だろうかと考えて、真っ先に浮かんだのはeastern youthの『夏の日の午後』だった。フジファブリック、ヨルシカの『若者のすべて』MVを視聴した後で『夏の日の午後』を聴くと、同じ”夏の終わり”というキーワード繋がりでの連想のはずなのに、まあ何という違いなのか。私の”夏の終わり”は、全然爽やかな風は吹かないし、息を潜めていても呼吸音が聞こえてくるような感じがする。MV映像も古い商店の前を走るスーパーカブ……路面が舗装されていないので、シベリアの町はずれの商店街みたい。
同じ単語からの連想なのに何なんだろうなこの違い、やっぱり街中育ちと過疎地域育ちの違いなんだろうか、いや世代? とか色々考えてしみじみする。あと、犬を飼うようになってから散歩がツラ過ぎて、夏は「息を潜めて時間が流れるのをやり過ごす季節」になってしまった。夏の終わりに男子のようなセンチメンタルさは最早私にはない。私にとって、夏の終わりは解放の喜びに満ちている。最近(朝晩が20℃くらいまで下がる日もある)の幸福度は脳が痺れるほどでやばい。
*1:35-6の男性に「男子」というのも変だが、交友関係の在り方を見ていると「男子」としか見えない。
映画二本と路面電車
「新路面」電車に乗る
駅ビル二階に乗り入れるようになった路面電車に初めて乗った。高架を登る路面電車は全国でも初めてなのでは? とか、いつもの路面電車がいつもの感じじゃないことに内心大盛り上がり。頭端式ホーム*1で、乗降口が乗る人と降りる人で別になっているかと思いきや、乗る人が並んでいるホーム側の乗降口が開いて降りる人が出てくるので、ホームの混雑が凄い。そして、ホームの幅が狭いので、結構な行列になる。……せっかく乗降口が分けられる構造になっているのに、何故そうしないのか謎。広島駅方面に向かう時、路面電車が急加速するのと、急加速した割にその勢いを大して使わず登る感じは面白かった。でもこれなら、1階まで降りてバスに乗る方が八丁堀や紙屋町に行く程度なら早く到着できる気がする。
「黒川の女たち」at 八丁座
若い女性達15名にソ連軍の性接待係を請け負わせることで無事に帰国できたが、帰国後は接待係の女性達が(助けられた)開拓団の構成員と地元民からの差別と偏見に苦しめられるという、リアル「脂肪の塊」話*2。
ドキュメンタリーで過去に放送されていたこともあり概要は知っていたのだけど、コロナ渦を経たその後の話まで含まれた映画だった。性接待の犠牲となった女性達の碑に碑文がつけられたこと、この出来事が当事者の孫子にどう受け止められたか、そして後世に繋ぐ”教材”として学校教育の中で取り上げられていることが紹介されていた。色々戦争ドキュメンタリーは見て来たけど、このタイミングで公開する作品は「後世にどう伝えられるか」まで入れないといかんのだろうな、という感じ。TVの戦争番組を見ていても、この課題に意識的であることはヒシヒシと感じる。
出来事がひた隠しにされてきた当事者たちの無念さ・悔しさが今ようやく報われた!というような描かれ方で、まあハッピーエンドに見えるんだけど、70-80歳を超えてからでないと言えない内容だったという辺りが、この出来事の重さを感じる。開拓団の回想録に入れてもらうよう原稿に書いた当事者もいたそうなのだけど、勝手に削除されてしまっていたというエピソードも紹介され、当事者が語らなかっただけではなくて、周囲も語って欲しくなかったことが伺える*3。あと、碑文作成反対派はチラッとしか出て来なかったが、実際は結構な(暗黙の反対)プレッシャーがかかっていただろうな、とも。ここまでまとめ上げた遺族会会長の苦労や人間力に感嘆してしまったのは、自分も歳を重ねて調整係の苦労がわかるようになってきたということなのだろう。
*1:ホームの形態についてはこのサイトの解説が物凄くわかりやすかった。鉄道豆知識 第2回 「ホームの形式色々」 | 鉄物語
*2:「脂肪の塊」は娼婦だが、こちらは素人の娘さんなのでもっと深刻というか、事実は小説よりも奇なりを地で行っている。
*3:性へのタブー視だけではなくて、元開拓団員達が当事者に対する加害者であり、男性のパワーを損なう出来事でもあるので話して欲しくなかった、というのはあるのだろうと思う。
シルトピアカレッジ図書館30周年企画 「地域資料に見る 神石高原町の歩みと未来」
はじめに
神石高原町という過疎の町が広島県北部にある。ここに行く時は福山方面から北上していくのだけど、その度に不思議に思っていることがあった。明らかに車が通ることを想定しないで造られた(道幅が異様に狭い)県道が結構ある。多分これはモータリゼーション以前からあった道を舗装して県道にしたということなのだろうけど、何故こんなに道があるのか。これだけ道があるということは、かつてこの地域に盛んに人の往来があったということなのだろうけど、どうしてだろう? 山地で農業に向くとは思えない場所だし、石見銀山街道からも外れているし。不思議がっているところで知ったこの企画、行ってみることにした。
シルトピアカレッジ図書館というところ
町の図書館なのだが、中に民俗資料館が併設され、映画館のような備え付けスクリーン付きの60人くらい入りそうなホール(展示室)があったり、複合文化施設という感じのところだった。開催場所では今回のテーマに合わせた展示が行われていたので、それも色々見物。昭和20年代の神石郡の地図(欲しい!)や、同年代の豊松村広報を読んだりする。ビックリしたのは、結構な数の子どもが生まれているし、夫婦が誕生していたこと。これだけの人を養える産業がここにあったということになる。
いよいよ企画開始
用意された椅子は大体9割埋まって開始。定員40名で「そんなに集まるんだろうか……」と思っていたが、結構な集客具合。ほぼ中高年ばかり。まあ高齢過疎の町だからそうなるよね……。司会の福本ヒデさんは石破総理のマネをしながらこなれた政治ネタをガンガン披露し、フロアを沸かせていた。前方は彼のファンが4-5名座って熱心に動画を撮っていたし、最初から場の反応が良いので、土地によく馴染んだ地元密着型の芸人さんなのかと思った*1。
企画は前半で数人が個別に話をして、後半は前半の出演者+αでパネルディスカッションという構成。最初は図書館長。なんと図書館長の会社がこの図書館を建てたらしい。利益相反とか大丈夫なんだろうか……と目を白黒させるが、図書館長として話していることは図書館の人らしい内容。「人口減少によって文化や歴史の断絶の危機」と話していたが、ホントにシャレにならんレベルでそうだと思う。次は福山城博物館の学芸員の話。この人の話が私の聞きたかった話に最も近かったが、説明は近世までの話で留まり物足りなかった。近代以降の話を聞きたかったのだけど、まだ記憶が生々しい人達が御健在&フロアに多数いるので、歴史としてここに説明するまでもないと思っているのかもしれない。福山に譜代大名が設置された理由を学べたのは良かった。前半最後は神石高原の自然に関する教育長からの話。久しぶりにスライドを使わず*2PCの操作にもたつく発表を見た。図書館長が操作を助けていた。
フロアも発表者も皆知り合い同士で血縁・地縁の濃さがうかがわれるというか、わざわざこの場で説明しなくても互いに色々わかっている関係性なのだろうと推察される感じだった。何だか部外者が紛れ込んでいるような居たたまれなさを感じ、前半終了で早々に帰路に就く。やっぱり自分の知りたいことは自分で調べないとやっぱり駄目かー、と思いつつ。
*1:ら、違った。全国展開するコント集団「ザ・ニュースペーパーズ」に所属する人らしい。
*2:説明に使う写真をWordファイルに個別に貼り付けていて、説明が切り替わる度に説明に即したファイルを立ち上げなければならなかった模様。




