車乗りと電車乗り

 職場の先輩の仕事を手伝ったら、一升瓶の焼酎をもらう。袋やら何やら、瓶をカバーするような物が何もない裸の一升瓶。重いので大丈夫かなーとは思ったのだが、やはりその不安は的中し、裸の一升瓶は重過ぎて片手で持てない。仕方なく両手で抱えることになるが、多分端から見ると「一升瓶を(大事に)抱えている酒好き」に見えるんだろうなと思うと割とへこむ。違うんです、重いからこうして抱えているだけでホントはそこまで酒好きじゃないんですーとか弁解して回りたい気分。
 先輩は殆んど電車に乗らない生活史を持つ人なので、一升瓶を抱えて電車に乗るという絵柄の異様さが多分あまりピンと来ないのだろう。このように、車移動の生活史が主の人は、車乗り独特の視点や感覚というものを持っていると最近思うようになった。
 このことに気づいたのは今回の件が初めてではなく、「初めて山手線に乗った」車乗りの女性と話をした時だった。山手線に乗った時、彼女は痴漢されるのではないかと不安で不安でびくびくしていたそうで、「近寄らないで!」と思いながら身を小さくしていたらしい。そんな大袈裟な、と私は思ったのだけど、車が提供する他者との距離感に慣れていれば、山手線における他者との距離感の狭さは確かに恐怖だろうと思い直したことがある。
 私の生活史は一貫して電車に彩られた、電車乗りとしての生活史なので、上記のような車乗りの感覚は全く馴染みのないものであり、非常に興味深い。