大分に行きました(2日目)

宇佐は素朴なところだった

 朝イチの電車に乗って、宇佐の掩体壕*1と滑走路跡を見に行く。ついでに東光寺の五百羅漢も見て、余力があれば宇佐神宮にも参拝してこようと考えて。
 柳ヶ浦駅周辺には結構古い家が残っていて、壁が板張りの納屋など発見。しかも廃屋ではなくて現役で機能している。古い建物好きなので、見られて嬉しい。
 どうも東光寺の方が駅から近いようなので、東光寺→掩体壕の順に回ることにする。東光寺へ向かう道の両脇は一面の麦畑で、日差しを遮るものは何もなく、ちょっと暑い。そして、延々歩いても一向にそれらしき物は見えない。……福岡に来た1年目、炎天下の中を手ぶらで歩いて熱中症で死にかかった思い出が脳裏をよぎるが、今回は日傘と飲み物持参。私もすっかりこの土地に慣れました。
 東光寺には、門の前に広い駐車場と宇佐市内観光案内の看板、おまけに公衆トイレまで設置されていた。ちょっとしたバスで数十名が一気にやってきても十分にさばけまっせ、という観光客慣れした様相。枯れた雰囲気のお寺を期待して門をくぐると、生活感出まくった建物がお出迎え。……住職さん一家の住まいか? この建物の裏に五百羅漢はあった。ひな壇のように並べられた五百羅漢をしげしげ見物。懐に人形を抱えたのが何体かあったのが気になった。これは仏様を抱いているということなんだろうか? 五百羅漢の更に奥にある十六羅漢も見物。どちらも草むしりなど手入れが行き届いており、大事にされている感じ。……しかし、このお寺の本堂は一体どこなんだろう? うろうろしていると、先ほどの建物の前に戻ってきてしまった。アルミサッシが少し開いていたので中を覗くと、どうもこの田舎の集会所のような建物が本堂らしいと知る。うーん、これが本堂だったのか。「ウチはようわからんばって、御先祖様が遺していった石像を皆さん見に来んしゃあですもんね」と言っているような、人からどう見られているかあまり気にしていない感じの本堂。 そりゃあ確かに木戸や障子は寒いから、アルミサッシの方が機能的だろうけど、どうにも無粋で……ちょっとガッカリ。本堂ももう少しカッコつけたらいいのに。


 東光寺を出ると、掩体壕を目指して再び延々歩く。途中で道を聞いたら「この道をまっすぐ歩いたら信号がありますから、信号のところを左に曲がって下さい」と言われていたのだけど、全然信号に行き着かない。力尽きたらバスに乗ればいいや、とうっすら思っていたのだけど、肝心のバス停がさっぱり見当たらない。いかん、田舎の道の恐ろしさをすっかり忘れていた……。2キロ歩いて、ようやく「掩体壕」の表示板を見つける。しかしここからまた更に1キロ歩かねばならないらしい。平地には不自然な、丘のような盛り上りが見える。あれがきっと掩体壕だ!

 公園はまだ真新しくて綺麗だった。手前の杭のようなものとオブジェは、鎮魂のためのものらしい。掩体壕は思ったよりも小さくて、飛行機が入ったらそれで壕の中がいっぱいになってしまうような感じだった。通気孔が開けられており、ひんやりするけど思ったより湿っぽくない(でもカビが多少生えてた)。掩体壕の傍にあった解説によれば、私が延々歩いて来た先ほどの道は、元宇佐航空隊の敷地のど真ん中を通る道だったらしい。そして、表示板から1キロ歩いた道が飛行機の滑走路であり、掩体壕公園に入るために通った脇道は、飛行機が滑走路に出るための誘導路だったらしい。ウーム、期せずして「宇佐航空隊の跡を辿る行程」となってしまった。航空隊の敷地って大分広かったんだなあとか、滑走路狭くね? とか色々考える。
 公園となって整備されているのは1つの掩体壕だけなのだが、他にも10近くの掩体壕が残るらしい。公園となっている掩体壕の近くにも2つ掩体壕があったのだけど、1つはトラクターの車庫になっていた。

もう一つは民家の庭にあって、飛行機の出入り口だったところには屋根がかけられ、倉庫兼あずまやのようになっていた。なんだか掩体壕の長閑な余生を見たような感じで、ちょっとココロが和む。


 さて、駅までは再び歩いて帰らなければならない。30分くらい歩いたらもう飽きた。バテてしまって、宇佐神宮に行く気も失せた。これから別府に戻らなければならないが、次の電車が来るまで1時間半待ちだ。思った以上に田舎電車だよ日豊本線! どうやって時間を潰そうかと考えていると、海が見えた。よし、海へ行こう!
 海の堤防が見えてくると、こんな注意書きが見えた。

 字体と垂れた白ペンキがイイ感じで怖い。いったいどういう海なんだと思ったら、こんな海だった。

 その後見つけた看板によると、ここは蛤の保護地域らしい。それで入浜(採漁)すると500円とるぞ、ということだったらしい。石だらけの砂浜で、波があまり来ないのか、割れたビンが原型を大きく保ったままゴロゴロしている。結構生き物がいて、貝(ビナ?)がわっさわさいたし、地面には貝がいる証拠の穴がたくさんあいていた。生きているフジツボも初めて見た。自転車で沖まで走っている人(漁業関係者?)もいた。どうやって海をこんな状態にしたのか凄く不思議だった(たまたま干潮だったんだろうか?)。

萌え萌え・別府温泉

 本来の計画では、宇佐でゆっくり過ごして、別府では竹瓦温泉*2にだけさっと入って帰りのバスに乗るつもりだったのだが、予定外に早く別府に来てしまった。バスの時間まで4時間もあるので、駅周辺の市営温泉4箇所に全部入ることにする。
 別府は、他のまちならとっくに廃墟となっていておかしくない建物やアイテムが、当たり前のように今も現役で機能しているまちだった。九州のまちは古い建物が何気なく今も現役で機能している傾向が強いが、それにしてもこの稼働率はすごい。大分の百貨店、トキハの向かいのエリアが特に凄い。ハード(建物)だけでなく、ソフト(中身)も30年前のまま稼動しているような感じ。個人的には不老温泉で興奮に火がついた。下の写真は、不老温泉の脱衣場。

古いけど手入れが行き届いていて、清潔な感じもたまらん。浴場自体も天井が高くて明るくて、昔の模様付きタイルで装飾があったりして、長閑で凄く良い雰囲気だったのだが、他にお客さんがいたので写真は撮れず。あと、ここ不老温泉は、浴槽内に足首までくらいの深さしかないところがあるのが非常に良かった。私はのぼせやすいので、こういう浅いところがないとゆっくりお湯に浸かってられないのだ*3
 更に、竹瓦温泉近くのお土産屋さんを物色して興奮にターボがかかる。このお土産屋さんは異様に商品が少なくて、売っているものもどこかで時間が止まってしまっているような物ばかりが並んでいた。洋品店(←「洋品店」というところがポイント)で売っていそうな謎のバックやお財布、たけのこ族っぽい男の子の人形*4、その他もろもろ。観光地といえば如何にして客の財布を緩めるかに腐心しているものだけど、全然そういう気負いを感じない。豊後高田のように、レトロを売りにしている風でもない。ただ昔と同じように店を開き営業している、本当にただそれだけという感じ。普通に考えれば如何にして集客するか、現代の風潮に合わせた企業努力が足りないと言われるところなのだろうけど、私としては作為を感じないレトロぶりがもう琴線にふれまくって、大変興奮する*5。ここは一つお土産を私も購入して、この企業努力が足りない素晴らしきお店に貢献せねばと思い風呂敷を買おうとしたが売ってなかった。風呂敷ってお土産品としては元来マイナーなんですかね*6。それとも長い年月の間に売れてしまったのかしら。
 お好み焼きとビールを持って、帰路。温泉の効果なのか素晴らしき別府の町並みの効果なのか、最近のごたごたで疲れ果てた感じや頭をギッチギチに働かせまくって得た冴えてる感じがキレイに洗い流されてしまったような、幸福感に満ちた緩い気分に気がついて驚く。半日いてこの按配では、3日も別府にいたら、脳みそがつるんつるんになってしまって帰ってくれなくなるんじゃなかろうか。別府、楽し過ぎだ。絶対また行こう。

*1:「えんたいごう」と読む。掩体壕は旧日本軍の飛行機の格納施設。戦前、宇佐には航空隊があったらしい。また、掩体壕自体は今も全国のあちこちに残っているらしい。

*2:市営温泉。100円で入湯できる。砂湯(別料金1000円)もある。観光スポットとしても有名。

*3:市営浴場は不老以外どこの浴場も浴槽が深くて、しかもお湯は熱いので、不老以外はのぼせてしまってあまりお湯に浸かっていられなかった。

*4:商品名は「ワルガキ」だった!

*5:撮ってきた写真を見ると、実に19枚。普段あまり写真を撮らないので、興奮し過ぎて目がくらんでいたのね、としみじみ思う。

*6:御当地風呂敷って意外とない。というか、お土産ラインナップに手拭やハンカチはあっても、風呂敷はない。人気ないんだろうか。行く先々の土地の名所を染めた「御当地風呂敷」を収集したいという夢があるのだが、未だそれは全く叶えられていない。