三池港周辺の近代化遺産ウォーキングツアーに参加しました

行く前

 よく見に行くHPにて、産業遺産を巡るウォーキングツアーが大牟田で開催されることを知る。1日3回開催という、ジャニーズコンサートばりの開催数でそれぞれ内容も異なっているらしい。うーん、全部行きたい。しかし一番行ってみたいのは、石炭採掘のために三池港の沖合いに造られた人工島を見られるという昼の部でしょう! 帰省前の慌しい時期だけど行くよ私は! ということで意気込んで参加。

当日朝

 日差しがきつく、生命の危険を感じるような暑い日が続いていたのだが、この日は珍しく朝から曇っており涼しかった。おお、なんというウォーキング日和な日。しかし参加者の年齢は幅広く、いくら涼しいといえど真夏・真昼のウォーキングは明らかに危険と思われる人々もいる。大丈夫か!? と思ったら、マイクロバスで移動とのこと。なーんだ、超楽ちん。

長崎税関・旧三池支所

 三池港方面に向けてバスは進み、右肩を下げたようにやや傾いでいる、明らかな廃屋の前で止まる。これが旧三池支所だった。

上の写真は正面玄関前。この写真ではわかりにくいが、建物の老朽化・損傷がひどく、港の閑散とした雰囲気も相俟って独りでは近寄りたくない雰囲気。このウォーキングを企画した大牟田のまちファンクラブで雨漏りの修繕などもしたそうなのだが、ダメだったらしい。保存はされないかもとのこと。

 有明高専のグループが建物の構造の調査をしたのがきっかけで建物の図面が見つかっており、島原の方に復元移築される可能性も出てきているらしい*1

九州電力・火力発電所

 旧三池支所の前でバスを降ろされた後、大金剛丸のところまで歩いて移動したのだが、その時に見えたフェンス越しの更地が九電の火力発電所跡だった。

三池の石炭を燃料に、15万kw位発電していた*2らしい。一昨年(2006年てことか?)に解体されたんだそうな。

とにかくびっくりするくらい見事な更地。草も全然生えていない。手入れしているんだろうか? それとも、万田坑周辺*3のように、草が生えにくい土壌なのかしら。

大金剛丸

 「大」といいつつ、かわいらしいサイズの黄色いクレーン。

15tくらいはもりもり持ち上げるらしい。また、大金剛丸単体では動くことは不可能で、タグボートで引っ張って移動するらしい。クレーンの動力は蒸気らしい。

この煙突が、蒸気を発生させるためのストーブがあることを示している。
 100年前のクレーンだし、今年で解体の危機にあるというし、今はもう使われていないのだろう、今時15t程度持ち上げられたところで、港湾業務には役立たずなのだろうと思っていたら、何と今も現役で働いているらしい。港内の海底に沈んだ鉄クズ回収作業などに従事しているんだとか。現役稼動しているクレーンがどうして解体の危機に曝されているのだ?? と思ったら、大金剛丸は今年点検の年*4にあたっており、その点検に通りそうにないのだという。点検に通るにはかなりの部品交換が必要なのだが、何しろ100年前の船。今や部品を調達するのが困難であり、整備には莫大な費用がかかってしまうんだそうな。ウォーキングツアーガイドさんの話によると、保存運動も行われているが、仮に保存できたとしても一部しか遺せないだろうと言われているらしい。「古いものを解体する」ことは、その土地が今も生きている土地であり、古いものを壊して新しいものを導入する力があるということの証だと最近思うようになってきていて、実はあまり否定的な感情はなかったりする。働く機械と働く場所は、働いている時が最も美しいのではないかしら。と最近思ったりするのです。
 とかいいつつ、大金剛丸の泊まっていた岸壁付近にあった、現在使用不可能なコンクリ製桟橋に萌え萌えのわたくし。

かっちょいい。

何故か軍艦

 今回のこのウォーキングツアーは、正式名称を「産業遺産をめぐるツアー:tanto tanto*5ウォーク」といい、三池港開港100周年の記念祭の一部として開催されたものだった。大きなお祭りなので、例えば帆船日本丸自衛隊の軍艦が三池港に寄港し、別のイベントとしてお祭りを盛り上げていた。tanto tantoウォークはこれら別のイベントにも一部乗っていたのだ、と気がついたのは全て終わってからのこと。

*****

 大金剛丸見学後、日本丸という巨大な帆船が停泊しテントが沢山並ぶ大きなイベント会場のような場所を通り過ぎて、その近所の小さなイベント会場のようなところにぽんと降ろされる。何ここ? 次の産業遺産は? と状況が飲み込めずきょろきょろしていると「今から1時間自由行動でーす」とアナウンスされて目が点になる。小さなイベント会場の傍には護衛艦「おおよど号」が停泊中。日本丸を観に行ってもいいし、おおよど号を観に行ってもいいらしい。どっちもどうでもいいよ……。どうしよう。
日本丸は大人気で乗船まで1時間待ちというし周辺も大混雑していた。時間経過とともに次第に日差しが強くなってきており、人ごみの中に行きたくなかったので、極めて消極的な選択としておおよど号周辺に出ている自衛隊関連のテントを見学する。

自衛隊テントは一見人懐こい作りに見えるが、端々に異文化暴力的な側面が見え隠れして怖い。

両端は旧帝軍の制服を着たキューピー。旧帝軍は自衛隊にとって(建前でも)否定する過去ではないし、旧帝軍は自衛隊の前身であると自衛隊は認識しているんだなあと実感。

これとか超怖い。親が勝手に私の名前を書いてくることなど、考えるだけでぞっとする。そして「親が書くならOK」という考え方を持つ集団なのだこの人たちは、というのが超怖い。
 そのうちテント見学も見飽きてしまうがまだまだ時間は残っているので、仕方なく軍艦見物の列に並んでみる。軍艦てどうしてこうグレー一色なんだ、面白くないよ、自衛隊キューピーも「世界の平和を守るのだ!」とか言っちゃってさ、日本の平和じゃないのかよ、大きく出過ぎだよ自衛隊。と、ブチブチブチブチ口尖らせていたのだが、「異文化のものだから!」と自分に言い聞かせて見学すると、それはそれでなかなか面白かった。

はためく旭日旗

甲板上のハッチ。見物客で賑わう中、水兵さんがそっとここの蓋を開けて中に入っていった。また、甲板の一部には白線が引いてあり、滑り止めが施されて歩きやすくなっている箇所とそうでない箇所が分けられている。実際の航海中は雨や波しぶき、揺れで甲板上は滑りやすくなるのでそのための処置らしい。「全面的に滑り止めを施さないんですか?」と訊いたら変な顔をされて「する必要ないですからねえ」とあっさり返された。そうすか。

海軍ラッパは操縦室(だと思う部屋)の天井にくくりつけてあった。予想以上に随分シンプルな作りだが、音の高低はマウスピースで出すんだろか。

操縦室から下へ降りるための階段。かなり急で、隊員向けに階段の下り方に注意する張り紙がしてあった。しかしこの階段、私がよく利用する図書館の階段(下写真)と階段の急っぷりが酷似。
 
図書館の階段は軍艦と同じ作りにしないで欲しい。資料抱えてこの階段を昇降する時は本当に怖い。

甲板上にあった救命ボート。球が転がり落ちると中から25人乗りボート・10日分の水と食料(勿論25人分)が出てくる仕組みらしい。球は5年交換らしい。流石国防に関わる分野、ハイテクだわ。

さよならおおよど号。ちなみに「おおよど号」という名前は太平洋戦争中に空襲によって転覆した軍艦「大淀号」からそのまま名前を引き継いでいるらしい。転覆した船と同じ名前って縁起悪いように思うのだが、その辺防衛庁は気にならないのかしら。

昼食

 期せずして軍艦の異文化ぶりを垣間見た後は、三井港倶楽部へ。ここで昼食予定だったのだが、館に入るとまずじりじり暑いお庭に集まり、ツアー参加者全員で記念撮影。どうすんだよこんなに記念撮影ばっかして*6

 朝の雲はすっかり晴れて、日差しが無茶苦茶強い。

 結婚式や会席にもどうぞ、とのこと。元々は三井の迎賓館として使われていた建物なので、確かに格調高い雰囲気だし悪くない。というかこの三井港倶楽部、数年前に経営難でしばらく営業停止・閉鎖されていた時期があるらしい。保存のためにも地元の人、使ってあげてー!
 昼食込み参加費2000円だし、昼食には一切期待していなかったのだが、コース料理が出されて大変驚く。参加費から考えると物凄くやり過ぎな感じなのだが大丈夫なのか? ちゃんとガイドさんの賃金出せる? 等いらん心配しまくり。

いよいよ人工島へ

 島原行きの高速船の脇から、このウォーキングツアー用(!)にチャーターされた高速船で人工島へ向かう。



停泊中の日本丸や三池港周辺の工場群も楽しく見せつつ、船はどんどこ進む。彼方に見えるは全農のタンク。

日差しはいよいよきつく、暑さと昼食後の満腹感もあってウトウト眠いわたくし。つい居眠りしてたら、ツアー中に知り合ったおばさんに「大丈夫? きついの?」と介抱される。いい加減大人だし、何処ででも寝る癖を直さねば。

起こされてもまだぼんやりしていたのでどのくらい時間が経ったか定かでないが、とうとう人口島が見えてきた。この人工島は、三川坑の空気穴として造られたもので、上陸して云々は考えられていないらしい。

横向き人工島。こうして写真だけ見ると夢の中の風景みたいだが、実際は船のエンジン音が大きくて、全然風情とか味わってる場合ではなかった。

人工島からの帰り、高速船は三池港(大金剛丸が停泊していたところ)の中にも入ってくれた。上の写真は三池港の中から閘門を見たところ。

 高速船を降りてバスのところまで向かう途中、大蛇山の一行に出会う。大蛇、首を左右に振っていた。三池港のお祭りだからってんで、大蛇も出てきてくれたらしい。ありがたやありがたや。

閘門と発電所

 人工島に行ったところでもう満足だったのだが、更に閘門(こうもん:干潮時にも湾内の水位を一定以上に保てるようにするための施設)と発電所跡を見学するという。

以前閘門を見に来たことがあり、概要も知っているのでイマイチ集中力に欠けるわたくし。閘門動力施設脇にあったタンクの写真とか撮ってうっとり。どうも錆びたものが琴線に触れるらしい。
 
 閘門の動力部分。100年前に建設された時からずっと使い続けているのだそうで、部品が壊れたりすると部品調達に割と大変なことになるらしい。また、有明高専の学生さんが、この動力部分の模型を作ったりしているらしい。自分の地域で稼動しているものが教育教材になるっていいね。

*****


 発電所跡も実は自力で見に行ったことがあるのだが、何と今回は発電所跡の建物を購入・転用しているサンデンさんの協力を得て、内部の見学をさせてもらえるらしい!

 発電所内部。中は蒸し暑いので、なんと発電所内にユニットハウスを入れてクーラーが利く場所を作っているらしい。ユニットハウスの前には自販機(右の青い部分)も設置されていた。

事務所以外には倉庫?としても使われている。ちなみに、買い取ってから屋根はスレートと鉄骨に葺き替えたんだそうな。

 上部の丸穴は元々送電線やワイヤーを通していた穴。社長の奥さんの趣味でステンドグラスを入れたらしい。
 社長は「この建物を守ろうと」買い取り、社の事務所兼倉庫として使うことにしたらしい。元々全く別の用途のために建てられた建物なので、多分普通の事務所に比べて色々不便も多いだろう。でも、このサンデンの社長さんのように購入して転用してくれる人がいるからこそ、この発電所は壊されず風化もせず、今も現役の建物として機能している。訥々と建物と社の経緯を説明する社長に「社長っ、あんたは偉いっ!!」と声をかけたくなったが、それは止めておいた。
 この後は解散式だったのだが、参加記念として軍艦付近と三井倶楽部で撮った記念写真2枚を渡される。……ホントにこの企画、サービスが良過ぎるのだが運営は大丈夫だったんだろうか。三池港100周年祭りの一部として補助金が出ているんだろうけれど、それにしても至れり尽くせりだったな。

大牟田という土地

 発電所で解散式を終えた後、大牟田駅まで向かうマイクロバスは三川坑*7の前を通り、ある信号で止まった。その時、バスの車窓から見えた民家の2階の窓に×型でテープが貼ってあるのを見た参加者の一人が「あれは三池争議の時の名残ですかね?」とガイドに尋ねた。未だに炭塵爆発後の後遺症に苦しむ方がおり、三池争議で旧労と新労に二分されて地域コミュニティは分裂せざるをえなかったとか聞いていたので、三川坑や三池争議にまつわる話題というのは割とデリケートで、徒に触れてはならない話題ではないかと思っていた。なので、齢50は過ぎているだろうかというおっさんの無邪気な質問にちょっと引く。ガイドさんは「あれは台風対策*8でしょうね」とあっさり返していたが。
 この他にもガイドさん(大牟田のまちファンクラブの役員)が何気なく「この前、与論島出身者のお祭り(やっぱり三線が大活躍らしい)に行ってきました。こうやって、もっとお互いに近づけるようにしていきたいと思っている」というようなことを話していたのを聞いて、今も与論島出身者のコミュニティは健在なのだと知る。炭鉱はなくなったが、炭鉱に絡んだデリケートな歴史は、今もちゃんと続いているのだなあと痛感。至れり尽くせりの安楽ツアーだったが、最後のおっさんの質問とガイドさんの言葉には、ちょっと応えるものがあった。

*1:何故島原なのかは不明。

*2:15万kwは大牟田市全域分くらいの電力量らしい。意外と少ない。今は原発が供給しているとのことだったが、「原発は火力発電と発電量が1ケタ違いますからねー」とガイドが曖昧に笑ったのが印象的だった。

*3:万田坑周辺はボタを埋め立てに使っているため草が生えにくい土質になっているらしい。

*4:「船の車検のようなもの」と説明されていた。

*5:tantoは多分「炭都」からきている。

*6:軍艦のそばでもツアー全員で記念写真を撮らされた。

*7:800人の負傷者を出した炭塵爆発・三池争議の舞台。

*8:台風時の強風による飛来物で窓が割れた時、ガラスが飛散するのを防ぐため、窓ガラスにテープを貼る家がある。私の住んでいる地域でも、古い家ではたまに見かける。