「そこに僕らは居合わせた ―語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶―」

 ナチスドイツ時代に10代だった人達の思い出をまとめた本。一話一話のエピソードが数ページしかないのでサクサク読めた。みすず書房、こういう本も出しているのね……。

そこに僕らは居合わせた

そこに僕らは居合わせた

 

  「水晶の夜」前後のエピソードが多い。ゲットーにユダヤ人が集められ始めた頃の町とドイツ人の家庭の様子、戦後に当時のことが語られなかった様子が印象的だった。大人達は「この村では誰も連れて行かれなかった」「仕方がなかった」「どうすることもできなかった」と戦後子どもに話す。しかし、実際は(具体的にどうなるかは確信していなくても)知っていたのだし、ユダヤ人が連れ去られた後に残った財産を取り上げていくドイツ人もいた。隣人が連れ去られること、子どもに語れない大人の心情、貧しさと浅ましさ。大人の事情や心境を推察できるところがあり、妙に実感がわく。今のこの歳で読むのと、10-20代で読むのとでは、感じるものが随分異なるだろうな。

 そして、ヒトラーに心酔し「祖国を守るために命を投げ出したい」と息巻くドイツの子ども達が、戦時下の日本の子ども達とよく似ていて、教育の効果に感心する。ヒトラー政権下のドイツしか知らなかった、という行に、ちょっと安倍政権を思い出したりする。今の10-20代が体験しているのは、新自由主義バリバリの自民党政権と大混乱の民主党政権、そして安倍政権か……。「客」と話していると政治に関するスタンスが全然合わないと感じることが多いのだが、仕方がないような気がしてきた。しかしどうしたら良いんだろう。