ヒトラー政権と科学者たち(その2)
しばらく頓挫してて、最近ようやく読み終わった。訳本のせいか文章が凄く読みにくかったのと、怒涛の勢いで登場する人物名をさばききれなくて辟易したのが頓挫の理由。しかし読み終えてみれば、それなりに得るものはあって面白かった。
誤解もあるかもしれないし、まとまった文章に書けないのが難だが、いくつか面白かった点をメモしておく。
理論物理学と実験物理学はちょっと違うらしい
よく「大学になると物理学は数学になる」と言われるが、その「数学になる物理学」とは理論物理学のことを示しているっぽい。原爆が開発されるまでは「理論ではそうなるかもしれないけどさー、実証されるまではホントかどうかわからんね」という風潮も強かったらしい。
「国を愛する」ことと、現行政府の方針に従うことは別のことらしい
よく考えてみると当たり前のことなんだけど、ちょっと盲点だった*1。科学者達はナチス台頭時「無知蒙昧で粗野な田舎者がのさばってきて、イヤーねー」と思っていたらしい。
理論物理学分野には、ユダヤ人が超多かった
学問の分野でもユダヤ人差別はナチス台頭前から脈々とあって、ユダヤ人が参入してのびのびと研究するには、理論物理学は当時あまり人気がない分野だったので良かったらしい。だから、ナチスの台頭によりユダヤ人の公職追放が始まると、物理学の分野は大量の頭脳流出が起き、研究者が足りなくなったらしい。
物理学者達はナチスに反対もしなかったし、賛成もしなかった
物理学者の場合、ナチスには賛成も反対もしなかったというのがこの本の主張。学問の考え方からして筋の通らない物理学の一派*2には反対したけど、自分達の学問の思考に対立しないナチスの考え方は放っておいたらしい。ナチスも不干渉だったらしい。
ナチスの政策は優秀な物理学者達を多数国外に放出することになり、他国の物理学者達とのやり取りも制限することになったため、結果的にドイツの物理学を大きく衰退させたらしいが。
ナチスを有効利用して、台頭しようとした学問の一派は、人脈作りが下手で台頭できなかった
「アーリア的物理学」の人たちは、喧嘩っ早かったり自分達をバックアップしてくれる政府の人物選択に失敗したりでうまく台頭できなかったらしい。
戦争協力というかなんというか
物理学者はナチスに反対も賛成もしなかったけど、自分達の研究を進めるために必要ならば「戦争に役立つ」という大義名分を使ったらしい。でも、原子核エネルギーの研究のように莫大なコストがかかる研究には「どうせお金出してくれないよー 無理だよー」と積極的に政府をせっつくこともしなかったらしい。あと、理論を実施してみる技術をもつ人員にも不足していたらしい。それでも、アメリカが原爆を完成させたと知った時には「(核エネルギーを取り出し、用いる技術について)先を越された!」とショックだったらしい。
大勢の物理学者たちは「ナチスってイヤーねー」と思っていた、というあたりにちょっと安心したのだけど、どうしたら良かったんだろう。物理学者達は「事態が好転するのを待つ」「どうせ言ったって無駄だからしない」という選択肢をとって、結果的に自分達の業界を衰退させてしまった。自分の置かれている環境の中で自分の研究を続けていくために、「戦争遂行上必要」という主張をするのは不本意でもあったことだろう。
とりあえず「イヤなものはイヤと意志表示をしないとどんどん侵食されまっせ」ということなのかしら、でも意志表示するってエネルギーのいることよー。ウーム。
ヒトラー政権と科学者たち (1980年) (岩波現代選書―NS〈513〉)
- 作者: A.D.バイエルヘン,常石敬一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1980/01
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