好きな人を好きでいること

 新しい病気に地名をつけることが偏見を招くことを危惧し、2015年にWHOが地名をつけないとしている話を今回の騒動で知った。地名が付いたために偏見と差別に苦しんだ話は水俣病のケースで知っていたし、良い試みだと思っていた。ところが、新型コロナウイルス(COVID-19)を「武漢肺炎」と呼んでいる国会議員が出ているらしい。馬鹿じゃないのかと思っていたら、親方がこの国会議員に賛同していた。うーむ。親方はとても優れた仕事の先輩なのだが、何故かネトウヨなのだ*1

 私は親方のことを敬愛しているが、ネトウヨ言動はもう本当に嫌でたまらない。親方とは今オンラインで互いの消息を確認する程度の関係になっているので、時折ネトウヨ発言が挟み込まれると、敬愛メーターが少しずつ削られる感じがする。以前の私なら、もうとっくの昔に敬愛メーターはゼロになっていたことだろう。そうならないのは、親方に対する敬愛の念と、ネトウヨに対する嫌悪と軽蔑、私がこの2つを分離できるようになったからだと思う。好きな人を好きなままでいられるように、こういう防衛行動を取れるようになったのか。でもこれは「許容している」というより「見ないようにしている」という行為ではないのか? と思ったり、許しがたいことはやはり許してはいけないのではないかと思ったりもする。まあ色々考える。

*1:竹田恒泰の書いた日本史本を読んでいたところから気づいたのだが、最初は信じられなくてメタ視点で読むのだとばかり思っていて「え? 馬鹿がどんな風に日本を理解しているか見てみるんですか? 笑」とか訊いてしまった。よく怒らせなかったものだ。