バットマン ダークナイト ※ネタバレしてます

 映画「ジョーカー」の鑑賞に向けた予習第二弾。三部作の中でも最も評判の高い「ダークナイト」である。ここでようやくジョーカー登場である。いよっ、待ってました! この映画の封切り直後に、ジョーカー役のヒース・レジャーが薬物中毒で亡くなっており、ジョーカーを演じることで生じた苦悩が影響したという話もあったくらいなので、どれだけ悪いのかとわくわくしていた。

  • 脚本が手が込んでる。ちょっとした台詞がここの伏線になっていたのか!と感心することが何度か。
  • ジョーカーは、言葉を交わすと心を操られる「羊たちの沈黙」第一作のレクター博士系なのね。個人的にはあからさまに憎悪や怒りを煽るジョーカーよりも『ヌルリと心に入り込んでくる』物腰の柔らかいレクター博士の方が怖い。
  • 不殺の信念を貫くバットマンに救われ「おまえは本当に頑固な奴だな……」と呟くジョーカーに、新展開の萌芽を見たような気がした。バットマン&ジョーカーが、トム&ジェリー的な関係になりそうというか。
  • ジョーカーの言葉に怒ったり、憎悪を燃やす登場人物達の気持ちに私はあまり共感できなかったので、「こういうことを言われると怒るのだな」と妙に客観的に見た。死者となった同僚を嬲られる警官、恋人の死はおまえの味方達の計画と失敗の結果だと唆される検事とか。
  • 検事が憎しみの権化と化すのがあまり納得いかなかった。お前なあ、バットマンは両親目の前で殺されて、思いを寄せる幼馴染は気だけ持たせておいて結局バットマンを振ってんだぞー! しかもバットマンは振られたことを知らないんだぞー! バットマンの方が余程気の毒だぞー!!(力説!)とつい思ってしまって。いやあの、バットマンの不幸を検事は知らないとはわかっているし、不幸比較をしても始まらないとはわかっているんだが、それにしても。
  • 囚人達を乗せた船と一般人を乗せた船、どちらも爆破ボタンを押さないという結果は物凄く美しいと思った。自分ならすぐさまボタンを押しちゃうけどなあ。名も知らぬ相手を互いに信じる、命を選別しない。これらを美徳とする作り手の価値観を感じた。正義の検事を「犯罪と汚職にまみれたゴッサムのヒーローだ、希望だ」とバットマンは主張したけど、ゴッサムの希望は市民の中にあると思う*1
  • 凄い技術の開発とか製品の輸出入で活躍するアジアの国々が、韓国と中国とシンガポールなのが悲しい。凄い技術の辺りは、80-90年代なら日本が出てきたんだろうけど、もうそういう位置づけにいないんだなと。

 もっと「ジョーカーは何て恐ろしくて非道な悪い奴なんだ!(こんな悪い奴になるまでの経緯はどんなだったのだろう?)」と思えることを期待していたのだけど、あまりそうならなかった。さて。

*1:しかし裏を返せば、「相互に信頼する」「罪人か否かで命を選別しない」だけでは社会正義を達成するには不十分なのだ(これらは当然の前提である)という認識が作り手側にあるとも受け取れる。前提のレベルが高いな。