山崎春美/倉地久美夫 at art space tetra(博多)
定期の来福日。ライヴに行きたくて調べたところ、倉地さんが山崎春美とtetraで演ることを知る。山崎春美といえば、私は山崎ハコと混同しがちな人。全然違うとわかっているのだけど、ちょっと気を許すとすぐに混ざる。どの辺が混乱を招く要因なのか考えてみたのだが、
- 名前が女性的
- ある種の伝説の人
- TACOとハコ
多分この辺が混乱惹起要因。
倉地久美夫
青灰色のシャツにスラックスで登場。いつにも増してサラリーマンぽい出で立ちだと思ったら、仕事帰りそのままの格好だとのこと。床に散らばった紙の中から取り出した詩の朗読から開始。「太陽の光を盗んだ」として、逮捕された人の夢を見たのをきっかけに出来たという詩。他人の夢話ほど馬鹿馬鹿しくて退屈なものはないとはよく言われることであるが、ちゃんと面白く聴ける仕上がり。流石やなあとしみじみ。
うろ覚えセトリは以下の通り。
- 詩の朗読 2篇
- 8mm監督
- アサヒ!
- 5本の指
- 3万年後
倉地さんの歌は鮮やかに情景が浮かんで来るのが面白い。歌は扁桃体を刺激する場合が多いけど、倉地さんの歌は前頭葉を刺激される感じ。夢の一部のような、しかし現実にありそうな、奇妙で涼やかな物語世界、面白く聴き入ってしまう。
山崎春美
多数の人影が現れては消えていく映像と、持続音を流す女性、山崎さんの朗読という構成。倉地さんの歌はある程度の筋立てを持っている時の夢だが、山崎さんの朗読は、記憶の断片がただ現れては消えていく段階にある時の夢のようだった。しかし彼は何度も詩をかんだり読み間違えたりする上に、それらが生じる度に言い直すので、こちらはなかなかパフォーマンスに入り込めない。練り込み不足だよなあ、トチッた時のはったりとか無いのかね? トチる度に内心ツッコんでしまう。一々訂正するあたり、律儀な人なんだろうけど。
詩の朗読の後は倉地さんとセッション。山崎さんの言葉に倉地さんのギターと詩が絡んでいくが、倉地さんの詩*1に、問いかける山崎さんの言葉には明らかな戸惑いが見て取れた。山崎さん乗り切れてないなあと思っていると、おもむろに中断し「ちょっと打ち合わせさせて」と、倉地さんを連れて店外へ出る山崎さん。わははは、ユルユルやのう。
打ち合わせ後は倉地さんのギターと山崎さんの朗読のセッション。倉地さんは演奏前に「今日の秘密道具」と話していた孫の手を取り出し、床を擦って音を出している。しかし朗読が先に尽きてしまい、ギターが鳴り止むと「終わり?」と山崎さんは尋ねていた。アイコンタクトで会話とかできないのかね。さらに山崎さん、先日詩のボクシング入賞者と共演したというオチのよくわからん話を始め、「本格的に話したいので終わり」と終演を宣言。冗談かと思ったら、客電までついて本格的に終わり。おい。彼は翌日大分県立美術館でパフォーマンスを行うそうで、試演的感覚が強かった模様。「明日来てもらえれば、今日失敗したところがどう良くなったかわかりますから」との御言葉。倉地さんも苦笑い。
山崎さんは無器用な人なんだろうなあとか、ひどいパフォーマンスだったなあ*2とか色々思う一方で、彼のパフォーマンスのこなれなさ具合から、コンスタントに演奏やパフォーマンスを続けることの重要性を思う。どちらの出演者にも「夢」を連想させられたけど、感じたことの落差と来たら! 何を観てもそれなりに収穫はあるものだなと妙に感心したりなんだり。