告別式でした。これで葬儀は終わり。物凄く気が抜けた。

[音楽] ジャパニーズ・ボンズ朝昼2回公演

 朝(お骨になる前)と昼(お骨になった後)の2回の読経があった。朝の読経は昨日の読経よりも良い印象で、「昨日とちがうぼんさんでは?」とさえ思った。どうも抑揚の付け方が読経の印象の良し悪しのポイントらしい。木魚が付かなかったのがちょっと物足りなかった。
 昼の読経時は、金糸銀糸の織り込まれた袈裟と帽子(?)をかぶってぼんさんが登場。朝の読経でちょっと期待が盛り返していたこともあり、葬儀のクライマックスらしい今までで一番派手なぼんさんの衣装を見て更に期待増加。……が! 「朝とはまた違うぼんさんか?」と思うくらい*1読経のテンションが低かった。疲れも相俟って、単調な読経についウトウト。途中で入った「カーッ!!」という喝も、妙にわざとらしい……というか演技がかってて白けたしなあ。ライヴだったら金返せというところだが、これで金貰えるんだから良い商売ですなあとか、不謹慎ながらどす黒い気持ちに。

火葬場に行った

 生まれて初めて火葬場に行った。御棺ごと丸々焼いてしまうんですね、あれ。焼いている間、参列者は飲み食いして焼けるのを待つので、そのための待機所があることも初めて知った。
 1時間半後、出てきた骨を見て言葉を失う。2つに割れた頭蓋骨から祖父の顔を連想することはできなかった。人もまたカルシウムや炭素やそんなもの、原子の集まりから出来ているのだ、これは絶対に覆せない真実だ、と鼻先につきつけられたような感じ。もっとゆっくり見たら頭蓋骨から祖父の顔を思い出せるかもしれないと思ったが、頭蓋骨は早々に隠されてしまい、私たち遺族が骨壷へ収めた骨は骨盤や大腿部や、骨らしい骨ばかりだった。気がつくと係員が全ての骨を骨壷へ収めるべく、上からがっしがっし骨壷の骨を割って詰めていて、なんだか見ていて辛かった。
 私の記憶の中に残っている、祖父の声や言葉や仕草や姿、知っている性質や聞いたエピソードや、あれらは全て無くなってしまったんだ、私の内に残しておく予定は無かったのに、私の頭の中には残ってしまった。おかしなことになっているなあと思った。これを書いている今(10日)も何だか不思議な気がする。

*1:実際違っていたのだそうだ。スケジュールの関係で朝だけ違うぼんさんに頼んだらしい。