戦争と夜中テンション

趣味が仕事に活きるとき

 職場(高齢者施設)の利用者さんと雑談。この人は戦争中炭鉱に勤めていたという。「それ、〇〇(地名)のところの炭鉱ですよね」と聞くと「そうそう! あそこはね……」と返事が戻って来ることの心地好さ。ああつくづく古い建物好きで良かった*1



戦時中を想像することと反戦教育

 彼女が勤めていたのは、かなり大きな炭鉱だったところ。私もたまに通るところだし、遺構も昔見に行ったことがあるからどんな所か知っている。あそこは大きいから、戦時中なら爆撃対象に狙われたでしょ? と聞けばその通りで、何度も爆撃があったらしい。
「火の玉(多分焼夷弾)がヒューッ、ヒューッて落ちてくる。それで、ボタ山に火がついて燃えてね……」
「〇×(これまた地名)の田んぼに爆弾が落ちて、こんな大きな穴ができて。隣のおいさんが埋めに行っていた」そのボタ山は今でもあるし、〇×のあたりは未だに田んぼばかりだ。自分の知っている風景が、戦争被害の舞台になった姿は比較的想像が容易で、余計にゾッとする。
 今回のこの体験で思ったのだけど、「自分が今住んでいる見慣れたこの地域も、戦争被害を受けたのだ」ということを知る方が、戦争の悲惨さをより実感できるのではないかと思う。「たんけんぼくのまち」風に自分の住む地域が体験した戦争を、現場に行って説明を受けるとかどうかしら。先の話で言うなら、ボタ山のそばまで行って「焼夷弾の投下によって、この山が燃えたんですねー」とか説明を受けるとか。
反戦教育はどのくらい具体的に想像できるか(痛みにまで想像を到達させられるか)、が肝要だと思うので、身近な地域が教材というのは結構良いと思うんだけどな。



語りと騙り

 多分前述の反戦教育アイデア自体は今更言わんでも、以前からあるものだと思う。私は小学生の時「自分の祖父母に戦争の時の話を聞く」という宿題を受けたことがあるし。身近な「人」の戦争体験を知ることで、戦争の悲惨さを実感することを目的としたプログラムだったんだろうと思う。確かに地域より人を材料にする方が、手っ取り早いよな。
 でも、生身の人間の「大変な(または辛い)体験」を語ってもらうことって、語り手にかかる負担が半端ないと思うのですよ。私の祖父の場合、頑として戦争の話はしてくれなかった。そういう祖父を気遣ってか祖母も話してくれなかった。多分祖父にとって戦争の話は語る段階にないもので、語らないことで自分を守ったのだと思う。その時私は宿題が出来なくて途方に暮れたし、祖父は結局そのまま墓に行ってしまったけど、それで良かったんだろうな、と今となっては思う。思い出すことでもう一度辛い思いをする必要はないと思うのです。
 最近朝のニュースにて、今まで自身の戦時中の体験を語らずに(語れずに?)来た人が「戦争を後続に伝えるため」と大勢の高校生の前で話すことになったけど、結局一番重いところは話しきれなかった、というニュースを聞いて胸が痛んだ。ずっと胸の裡に留めてきた重い出来事を、大勢の前で開陳しなければならないなんて過酷過ぎる。そうでなくても、講演の様に話すことは、既にある程度話の起承転結がまとまっていることが必要なので難しいんじゃないのかと。
 で、思うのだけど、話してくれる人達の話をインタビューしてストックし、大勢の子ども達の前ではそれらの話を魅力的に話せる人に話して貰えたら良いと思う。体験者本人にではなく、語り手に語ってもらう。文字だけでなく「語り」として戦争の話が受け継がれていくことは、聞き手へ訴えかける力という点で多分に意味があると思うんだけど。でも、「語り」は話し方、声の調子、様々な非言語的要素が入り込むことによって、体験者の伝えたかった意味と異なってきてしまう可能性も高いから危険かしら。そもそも語り手を確保すること自体が無理だから実現不可能な案という気もする。




 夜中に目が覚めて、その日あったことを思い出すうちにつらつらとこのように考えが巡り始め、ついには爛々と目がさえてしまう。あああああ。



*1:炭坑・鉱山跡も好きなのだ。昭和初期の筑豊の炭坑地図とか見るとグッとくる。