「結婚の奴」能町みね子

 Twitterで能町さんをフォローしているので、絶えず流れてくる*1本のレビューに惹かれて読んでみた。くそ、まんまと販促に引っかかってしまった……。悔しいので、図書館で借りて読んだ。で、読み始めたら一気読みだった。

 彼女とは歳が近く、東京で遊んだ時期も重なっているので、本に登場するアイテムや街の肌感覚が生々しく蘇る。妙に斜に構えた感じ、卑屈さ、自信のなさ、それらから来る憂鬱さ。何かそういうものまでブワッと思い出されて、懐かしいような、同族を見ているような、少し嫌な気持ちにさえなりながら読んだ。「自分が異物として上手く馴染めていないような感覚」は私もあるのだけど、「もう仕方ないか、私は私の好きなこと、したいことをしよう」と早々に諦めてしまった私と比べて、彼女は好奇心旺盛だしパワフルだ。「周囲が夢中になる、良いものだという、恋愛を試してみよう」と、『彼氏』を作ってみる。一度「退屈」と評価しても、諦めずに相手を変えて試してみる。この辺の『世間の典型を体験してみる』意志が私は希薄なので、彼女の(暗い)情熱に感嘆する。また私自身が『好きな人と付き合いたい』性向なので、『恋人が欲しい』という性向の人をイマイチ理解できずにいたのだけど、なるほどこんな風にいるのだな、とデータを得たような気分。

 性愛や生殖と結びつかない婚姻を積極的に志向する人がいる、しても良いんだ、というのも何だか目から鱗だった。結婚するなら同性がいいと思うことはよくある。互いに求め過ぎず、でも法的契約を結んでいるので、病院の保証人とか、万が一の時の色々はお互いにカバーし合える関係。でも、それは自分勝手な希望だよなあとも思っていて、周囲が性愛や生殖の意志が無くなってきた頃にならないとそういうパートナーは探せないだろうと思っていた。あ、探して良いんだ、と背中を押されたような感じ。同性婚LGBTのものだけじゃないよなあ。ただ、私は(自分の性愛対象ではないはずの)同性であっても、能町さんのように「パートナーを恋愛対象として見ることは絶対にない」という確信はないので、下手に一緒に暮らしだすと混乱しそうな気もする。

 雨宮さんとの行は、恋愛に対する彼女の醒めた文章とは対照的な激しさで、その対比で本全体のバランスをとっていた。「悲しくて、どうにもやるせなくて、しかし皆のタイミングが悪くて受け止めてくれる相手がいない」葬儀場から新宿の行は思わず感情移入して読んでしまう。あの中に出てくる新宿は私の中ではやっぱり雨が降っている。雨と酒と煙草の臭い、喧噪。私の中の新宿と重なり、激しく琴線に触れた。

結婚の奴

結婚の奴

 

*1:御本人がリツイートしている。多分販促のため。