池島に行き、島と坑道の見学をしてきました
はじめに
池島炭鉱は2001年まで操業していた九州最後の炭鉱がある島。今は技術研修と観光で一部坑道が公開されている。
先日の軍艦島上陸ツアーに引き続き、長崎さるくの一環で行われている池島海底炭鉱の見学ツアーに参加してきた。このツアーの存在自体は始まった頃から知っていたが、その頃は大人気で、予約開始日にあっという間に予約が埋まってしまって行けなかったのだ。それが今、開催最低人数を満たさずバスツアー*1は中止とのこと。今年から始まった軍艦島上陸ツアーの陰に隠れてしまった感があるなあ池島……。しかし良かった、マイカープラン(自力で池島まで行くコース)で申し込んでおいて。またも危うく見学できないところだった。
池島に到着するまで
車を運転できない私にとって、僻地である池島まで行くには長崎駅から送迎バスが出るバスツアーで申し込む方が便利である。しかしバスツアーだと、島到着後すぐ坑道見学ツアー開始なのだ。それなら坑道見学ツアー開始の数時間前に自力(マイカープラン)で島へ入り、島の散策をする方が良かった。このために朝4時起きになったけど! 朝は眠くて息が止まりそうだったけど! 自分でも馬鹿なんじゃないかしらと思うが、この機会を逃したら次はいつ行けるかわからない島を思う存分堪能してきたかった。
池島行きのフェリーが出る神浦港までの行き方は路線バスを使って、このようなルートを予定していた。
長崎駅発〜桜の里バスターミナル(バス乗換)桜の里BT〜外海行政センター前(神浦港最寄駅)
ここまでは順調だったのだが*2、私が乗ろうと計画していたフェリーは神浦港ではなく、瀬戸という別の港から出ることが神浦港に到着してから発覚。幸い、神浦港そばの行政センターは1階が行政センター、2階以上がホテルとレストランだったので、ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらって瀬戸まで行ってもらう。タクシー代2000円が予定外に飛んで行った……。僻地の公共交通機関は、運行状況を事前に電話で確認するという鉄則を怠ったばかりにこんな目に。むーん。
瀬戸のフェリー乗り場からは松島行きと池島行きのフェリーが出ているが、池島行きは古いプレハブで、窓口は窓口スタッフの顔もよく見えないような作りで(パチンコ屋の景品交換所みたいだった)、物凄く不安になる。同じフェリーに乗ることになるであろう団体旅行のツアーガイドさんも同じ気持ちだったようで、しきりに本社と窓口にフェリーの運航と運航時刻を確認していた。
写真は瀬戸港の周辺を散策していて見つけた、野晒しの何か。錆萌え。
松島行きフェリー。池島行きフェリーの中から撮影。
フェリー甲板にて。結構油臭くて、音もすごい。客は私と同じ炭鉱観光が目的と思しき中高年のツアー客と数名のそうでない人たちだった。
そうこうするうちに島が見えてきて
近づいてきて
いやが上にも盛り上がり
無駄に写真を撮りまくるわたくし。空の青さと海の青さ、四角い肌色の建物の対比に、manitobaのファーストアルバムのジャケットを思い出したりする。
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フェリー発着所(待合室)の張り紙。発着所の傍はもちろん、島の人が住んでいると思しきエリアは猫が沢山いた。
島内へ
コミュニティ(マイクロ)バスに乗って、島の道を進む。私の他の乗客(男性1名)は運転手さんと知り合いらしく、会話が弾んでいた。降りたいところで頼めば降ろしてくれて、どこまで行っても100円。ふむ、それなら狭い島のこと、行ける所まで行っていただこうじゃないの。と思ったら、私以外の客は降りてしまった。
「どこまで行くんですか?」と運ちゃん。
「いや、行けるところまで乗って行こうかと……」と私。
もう終点なんですよ、と答えた運ちゃんのバックミラーに映る表情は不安気。何でこの島に? と問われたので、観光に来たのですと答えると笑われる。「観光って、この島には何もないですよ!」それを見に来たのですと答えるのはあまりに失礼かと思ったので、ごにょごにょするわたくし。
終点は、無人の団地エリアだった。
右を見ても
左を見ても、人の気配がしない。草木が風に揺れる音だけがする。周辺を散策したが、メインストリート周辺の一部の棟を除き、後は全く無人の様子であった。
人がいなくなってから10年程度しか経過していないので風化はそれほど進んでいないし荒らされている様子もなく、某有名産業遺産を見た時のような生気を吸い取られそうになる感じは殆どなかった。むしろ、初めて見るゴーストタウンに静かな喜びと興奮を感じる。
団地はどの棟も厳重に閉じられ、「立入禁止」の表示がしてあった。今ここに技術研修に来ているのはインドネシアからの人とその家族だそうなので、下の外国語はインドネシアの言葉なのだろう。
団地の片隅にあった入坑口と思われる場所。消えかかっているが「御安全に」と書いてある。この先を進むと延々と階段があり、下へ降りていけるようになっている。
(確か)淡水化装置。今は稼働していないらしい。
巨大ぶりと錆具合に圧倒される。細部の錆と錆びていない部分の対比に琴線鳴りまくり。
島は炭鉱関係者の居住地区と、漁村地区(郷地区という名称らしい)に分かれており、郷地区は上記のような一見普通の民家風のスナックがたくさんあった。また、この地区は人が比較的多く住んでいる様子があり、猫の数も多かった。
炭坑ツアーへ
2時間程度では島全体を十分に散策することはかなわなかった。昼食を島内の食堂*3で食べて、炭鉱ツアーの集合場所へ移動。ツアーの客は私を含めて5名。継続して欲しいこの炭鉱ツアーであるが、連休の中日でこの人数では、今後が甚だ不安。
ツアーの詳細は、DPZのT.斉藤さんのレポが詳しく、また写真も美しいので、こちらを参照されたい。坑道の中は暗くて、携帯のカメラでは全く写真を撮れなかった。斉藤さんの体験したツアーはバスツアーで弁当付きだが、私の体験したツアーには弁当が付いていない。そのくらいの違いで、後はほぼ一緒。なので以下にツアーの概要と端々で私が思ったことなどを記す。
1.講堂のようなところで池島の地理と池島炭鉱の始まりと閉山までの歴史に関するビデオ観賞
2.バスで移動して、坑道に降りて行くのに必要な装備の携帯の仕方および使い方の説明
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- 安全靴は履くと安心した気持になれることを知る
2.装備を装着したら、バスで更に移動して見学用・研修用坑道へ
3.トロッコの前で参加者全員で記念撮影。ツアー終了後に500円で購入できる。
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- 今後もこのツアーが継続しますようにと願いをこめて写真を購入したら、写真には手拭を巻いてヘルメットをかぶった私の母が映っていた。相変わらず遺伝子の仕事ぶりときたらマジでパねえ。
4.トロッコで行ける場所まで移動
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- 入り口側を向いて座るので、降りて行くときは顔が向いているのと逆方向にトロッコは進んでいくことになる。結構揺れるし早いし、どんどん暗くなっていくしで物凄く怖い。久しぶりに足の裏に冷たい汗をかいた。
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- トロッコを降りたところに、池島小学校の子供たち(主に炭鉱勤務者の子供たち)が書いた習字と絵画が展示してある。習字の題材がいかにも炭鉱らしくて思わず笑う。
- 「坑道の中は、光が入りません、だから電気を消すとどの位暗いかをこれから体験してもらいます」との説明の後、坑道内全ての電気が消され、真っ暗になった。目が慣れてきても真っ暗だった。この暗さの深さと不安ときたら! 炭坑関連の著作物には「闇」という言葉がしばしば登場する。炭坑内で人が亡くなった時は魂が坑道内で迷わないように「今○○だぞー」と闇に向かって声をかけるのだという話を聞いたこともある。あの「闇」という言葉の意味と迫力、闇の中にいる魂に声をかける行為の必然性を、身をもって知ったような気がした。
6.体験用坑道に移動し、削岩機・発破の体験