介護現場が元気になるナイトセミナー at 都久志会館(福岡)

 誘われて、二つ返事で「行きます!」と答えたセミナー。あの介護のカリスマ、三好春樹*1の講演会なのだから逃す手はないでしょう!

セミナー本編

 地図を見ていて、都久志会館は何か行ったことがあるような? と思ったら、以前石牟礼道子の講演を聴きに行ったことがある場所だった。でも今回は大ホールではなくて、会議室だそうな。来場者少ないのかな? と思ったけど、3室ぶち抜いて会場設営されてて、それでもなお満員の様相。さすが。
 セミナーは「セミナー」というより、彼の著作をおさらいするトークショーのような感じ。正直、新しいことを知る面白さはあまりなかったが*2、飄々とした軽妙なトークで笑いを取りつつ、本・セミナー・販売グッズの宣伝バカスカ入れつつ、飽きさせない。印象的だったのは「認知症高齢者の言葉は暗喩(メタファー)である」という言葉。発言の額面通りの意味や行為そのものに対応するよりも、その背後にある気持ちや状況を推測することが認知症高齢者の場合には重要であること*3は体験的に知っていても、そのことをこのように一言で、ビシッとカッコよく言われると感嘆して思わず呻る。そして、体験談として語られる高齢者とスタッフのやり取りの温かさ! 多忙な業務と、入所者とのやりとりを必死で、でも楽しみ、笑ったり途方に暮れたりしながら過ぎてゆく施設生活の風景が見える。話に出てくる認知症高齢者は、いかにも典型的な認知症の人たちばかりだった。「ロシアに行く」と宣言する認知症高齢者とアタフタするスタッフの話に笑いながら、私は自分の出会った入所者さん達のことを思い出していた。周囲の聴講者も、多分似たような心境だったのではないか。「ああ」とか「そうそう」とかいう声、うなづきが度々聞こえた。
 この人は施設にいる高齢者のことだけでなく、介護職という仕事をよく知っていて、介護職の人にも介護に接する機会がない人にも伝える術を知っている人だと思う。介護の人達というのは、素晴らしい技術を持っていたり、介護の面白さを知っていても、それを(わかるように、もしくは魅力的に)伝達しようとしない人達が多い。職業の伝統的な性格*4もあるのだろうと思うけど、色々損してるよな、とも思うのです。だからこういう、介護の現場を現実味のある言葉で、しかも温かく話せる人というのは貴重だと改めて思う。

谷川俊太郎のこと

 グループホームの職員が書き、谷川俊太郎がタイトルをつけた本*5、というのが途中紹介された。
 それで昔、谷川俊太郎認知症高齢者を題材にした「おばあちゃん」という絵本を出していたことを思い出す。その本に登場するおばあちゃんは家族の脅威で、理解不能な「うちゅうじん」として「ぼく」に認識される。そして、やがて「ぼく」たち自身も「うちゅうじん」になるのだという不気味で不安な言葉を持って本は終わる*6。その谷川俊太郎が(恐らくは彼自身が老いてから)、介護の本にタイトルをつけたということには興味を惹かれた。谷川俊太郎の著作はもうずっと読んでいないので、今どうなっているか全然わからないけど、彼は今、老いや認知症をどんな風に捉えているのだろう。
 あの本を出した時よりも、ずっと楽天的に捉えるようになっていてくれたらいいな、と思っている。認知症は「うちゅうじん」になることではないし、全く人間的なものだと思うのです私*7

*1:この人が多分一番最初に書いた本「老人の生活リハビリ」で私はこの人を知った。その時の書評はこちら

*2:新しく知ったのは約30年前の介護の状況と特養の様相。入所時「風呂に6〜7年入ったことがない」という人はザラ。入所者は手入れしやすいように髪は男女とも短く刈られ、同じ服を着て、一見すると性別がわからない。聴いてて心底寒気がした。

*3:参考記事

*4:実際的で、具体的なものを何よりも重視し要求する。理屈をあまり求めない。

*5:「九八歳の妊娠」「おしっこの放物線」という本。読まずして何となく内容がわかったような気になったが、この辺自分の実にふてぶてしいところだと思う。

九八歳の妊娠―宅老所よりあい物語

九八歳の妊娠―宅老所よりあい物語

おしっこの放物線―老いと折り合う居場所づくり

おしっこの放物線―老いと折り合う居場所づくり

*6:この本は今他の絵本とまとめられて出版されているようです。私とはまた異なる書評はこちら

おばあちゃん ひとり せんそうごっこ

おばあちゃん ひとり せんそうごっこ

*7:ただ、家族が老いていくこと、家族介護は施設介護とはまた違う葛藤が沢山生じるはずで、「うちゅうじん」と彼が書いたことはその辺を考慮しなければならないのかな、とも思う。家族介護の難しさを私はまだちゃんとわかっていないしな。