言葉は変わっても

 上の話で思い出したのだけど、今時介護業界では「痴呆」と言わない。痴呆のことは「認知症」と言う。老年精神医学会もこの呼称でいく方針でいるようだから、これから広まっていくのだと思うけど、この名前もうちょっとどうにかならなかったのか、と正直思っている。
 認知は機能のことを指す言葉なので、「認知症」ではどういう障害なのかわからない。痴呆は知的機能の(ほぼ不可逆的な)低下を指す言葉なので、認知障害だけではないしねえ。
 何故こんなわかりにくい呼称にしたのかといえば、何が障害されるのか、あえてわかりにくい名前にしたのかもしれないと思っている。「痴呆」という言葉の強烈さ*1の反動もあるだろう。痴呆は特に最初期はデリケートな問題で、またかなり症状がはっきり現れるようになってからも、周囲の家族にとっては受け入れが難しいことが多いようだと感じることがままある。
 言葉を変えることで誰かが気分良く過ごせるならそれはそれで良いと思う。しかし言葉をいくら曖昧に変えても、痴呆の現象があることには変わりなく、本質は何も変わらない。なんか「認知症」という言葉には、存在するものをないように見せかける意図を感じるというか、ある種の嘘臭さを感じて嫌なのですよ。

*1:馬鹿という意味の語が2つ続く。そんなダメ押ししなくてもいいじゃん、という気も確かにする。