旧長崎刑務所を見に行きました

はじめに

 話は25日の金曜に遡る。23時過ぎにヨロヨロ帰宅した私、寝る支度をしながらアンテナ*1をチェックしていたら、旧長崎刑務所が25〜27日まで一般公開されることを知る。ぬおっ、これは見に行かねば!! 疲労でボンヤリしていた頭は急激に覚醒。どの交通機関で行くのが一番効率が良いか検討したりしているうちにどんどん興奮が高まって覚醒してしまい、そのまま眠れなくなってしまう。馬鹿。

旧長崎刑務所とは

 旧長崎刑務所は明治40年(1907年)に完成した刑務所で、日本の五大監獄と言われる刑務所のひとつ。1992年に閉鎖された。
 以上は旧長崎刑務所の簡単な概要。ここからはそもそも何故私は刑務所なんぞ見に行こうと思ったのか? という理由。私は「九州遺産―近現代遺産編101」という本で旧長崎刑務所の存在を知った。この本に掲載された旧長崎刑務所の赤煉瓦の正門は、陽光に照らされて明るく輝き、それはそれは美しかった。囚人の更生という刑務所の目的の一部として「囚人の情操を養うために」美しい設計にしたというコンセプトも関心を引いた*2。このコンセプトゆえ、「囚人の視点から眺めた時に最も美しく見えるように設計されている」と本では説明していた。
 ああ内部を見てみたい! 私も囚人の視点で見たい! と熱望し続けて2年。今回の一般公開を知った時には絶対行く! 万難排して行く!! どうしても行く!!!と鼻息荒く、興奮のあまり眠れなくなってしまったのもまあ仕方なかったのだ。

九州遺産―近現代遺産編101

九州遺産―近現代遺産編101


れっつごー

 普段より早起きして、天神から高速バスに乗る。バスで2時間、諫早に到着。バス停から歩くこと10分、何だか周囲の住宅と不釣合いなものが見えてきた。

尖塔が周囲とミスマッチな感じで目立つのですよ。そして。

おおー、正門だー! そして、塀の圧倒的な高さと重厚さに圧倒されるわたくし。(下の写真が塀。)

写真だとわかりにくいと思うが、これ滅茶苦茶高いのですよ(刑務所だから当然か)。
10時から公開開始とのことで、私が到着したのはまだ10時前だったのだけど、既にたくさんの車が刑務所敷地内には入ってきていて、受付をしている人もいた。おお、早い。
 そして、「どうだ! 綺麗だろ!」と言わんばかりの建物たち。事務所棟らしい。

威風堂々たる佇まい。ボランティアの人(後述)の説明によれば、この建物の設計は東京駅の設計者と同じ人がしているらしい。また、この刑務所に収監される囚人は先の正門から入るので、まず正門とこの建物を見ることになったらしい。

内部を見学

 今回の一般公開には、地元の団体*3が尽力したそうで、この団体のスタッフが刑務所内部の解説をしつつ案内してくれるという。4時間はここにいられる計画なので、案内を聞いてから再度内部を回っても十分時間はあるはず。案内を聞くグループに私も参加することにする。幸運なことに、私達のグループの参加者には、この長崎刑務所に勤務していた刑務官の方が混じっていた。建物内に残る様々な遺構についての概要をボランティアの方から、当時の状況や詳細な使い方についてを刑務官の方から説明を受けることができ、かなり面白かった。
 事務所棟内部はかなり綺麗に残っていた。石造り独特のひんやりした感じも気持ち良い。

次は舎房棟へ。
……ん?

どーん。モロ廃墟。
 これを見て、ちょっと気が引き締まる。……この中入っていくの? ヤバくない?

舎房内部の様子。写真に写るドアは囚人用の各室のドア。木製。上の写真は比較的原型に近い形で残っている箇所だが、

こちらの写真の箇所は2階の床がほとんど崩落している。そして、舎房のほとんどはこのように床が抜けていた。どうも壁は煉瓦造りだが、床と屋根は木造(屋根は瓦葺き)だったため、15年メンテフリーの影響を受けて崩落しまくっているらしい。2階へ行く階段も多くは崩落が始まっており、2階へ上がった人もいるようだったが私は恐ろしくて上がれなかった。また、写真では明るく写っているが実際は湿気がかなりあってじめじめとしており、カビ臭かった。

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上の写真はどちらも独房。左の写真の独房はほぼ使われていた当時の姿で残っているが、右は壁が剥げ、畳は朽ちている。というか、全く原型を留めていないが畳なんですのよ、これ。
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こちらは雑居房。一人一畳の計算で、3人入所が一般的だったらしい。1つの部屋に2人入所にすると囚人同士での共謀が生じやすくなるため、基本的には奇数入所が原則らしい。雑居房のトイレはプライバシー保護のため囲われている(上部はガラス)。
 また、独房も雑居房も、ほとんど損傷がないのは病舎*4のもの。一般の舎房の方は湿度のせいか損傷が激しく、かつ暗くて写真を撮れないところが多かった。
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こちらは舎房の懲罰房。暴れたりして興奮が治まらない囚人を一時的に入れるところらしい。他の房のドアが木製だったのに対し、こちらは業務用冷蔵庫のドアのような金属製。また、左のすりばち(?)状になっている箇所は、懲罰房内部の囚人の様子を外側から見るための覗き穴。すりばちの底にはレンズが埋め込まれている。監視カメラなんてなかった時代のものらしい。流石100年前からの刑務所!
 また、この他面会室の脇にも懲罰房があったのだが、こちらは中に入ると真っ暗になってしまう上にやたら狭かった(暗いので写真は撮らなかった)。こちらの懲罰房は、囚人の興奮が治まるとすぐに出したらしい。その話を聞いて、timeout室そっくりじゃん! とちょっと思った。
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 こちらは浴場。左写真が浴槽(手前の溝が写っている箇所)と洗い場。浴槽は結構深かった。男子のみ入所の刑務所だったそうなので、男性仕様で深かったのかしら。右の電球が並んでいる写真は、残り入浴時間を示すランプ。入浴時間は決まっているので、決められた分経過ごとにランプが点灯(消灯だったかも?)して、入浴残り時間を知らせる仕組みになっていたらしい*5。ちなみに入浴時間は15分だったらしい。夏場の私の入浴時間とあまり変わらない。
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 縫製工場内部。左の写真の場所ではでは魚の網を作っていたらしい。電灯の位置がかなり低いのは縫製工場ゆえらしい(手元をより明るくするためか?)。また、元々はこの長崎刑務所は移転ではなくこの旧長崎刑務所を改築して使い続けようという方針だったそうで、この縫製工場建物が舎房と比べて真新しいのは、最初の方針に従って改築されたためらしい。この場所は学校の体育館みたいな建物で、床には謎の糞が大量に落ちていた*6
 また、刑務所内での労務=家具造り、のイメージがなんとなく強いが、労務の内容は、刑務官の方の話では「ウーン、色々でしたねー」とのこと。縫製工場の他には機械工場と印刷工場があった。印刷工場では、入試の試験問題なんかを印刷していたという話はちょっと面白かった。確かに刑務所での印刷なら情報漏洩の可能性は低そうだよな。ははは。
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室内運動場。雨や悪天候で屋外の運動場が使えない時にはここで運動したらしい。屋根が崩落して、床も抜けている。刑務所内のスケジュールは「作業○分、休憩○分、運動○分」のように時間でキッチリ決まっており、刑務官の方は時間通りにキッチリこなすのに神経を使ったらしい。きっちり行わないと(例えば作業が長引いて休憩が短縮されたりすると)、後で受刑者から訴えられることがあったりするんだそうな*7
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 見事な廃墟っぷりは堪能できたが、どのへんが「囚人の視点から見ると美しく見えるように作られたのか」は何だかイマイチよくわからなかった。ボランティアの人に聞くと、「中庭から舎房を見ると綺麗だったみたいですけどねえ」とのお返事。ふむ。

現在の中庭。 草木、どーん。

 草木、ばーん。

敷地内のあちこちに野ばらが咲いていたのはきれいだったが、多分これは15年の月日の経過の結果だと思うしなあ。中庭から舎房を眺めても、私の背より植物がもくもく生えてて、やっぱりあまりよくわからなかった。「囚人の視点で」建物の美しさを堪能するには、15年という月日はさすがに長過ぎたということか。電柱も倒れる歳月だもんねえ。


危ねえよ

 色々写真を撮ってあちこち見て回ったが、舎房の廃墟ぶりを目の当たりにしてからは結構冷や冷やした。正門前の一般公開を知らせる告知文に「雨天中止」の文字があったり、見学に入る時に「事故などに遭う可能性があることを承知の上、自己責任で内部に入ります」という旨の誓約書を書かされたりした理由が物凄くよくわかった。舎房内部は何時更なる崩落が起きても不思議ではない状態だったので、晴れてても強風だったらかなり危なかったんじゃないだろうか。案内役のボランティアの方が、落ちていた木材を何気なく端に除けると、その木材には錆びた釘が数本刺さっていたのにも引いた。これ、うっかり踏んだらえらいことになるよな……。
 しかし、「足場に気をつけないと!」とどきどきする私の傍らには、幼児を連れた家族連れとか、サンダルミニスカートの女性とか*8。おい。しかも幼児、歓声を上げて走ったりしてるし。危険過ぎるよ! 幼児が転んで釘や折れた材木を刺したり、脆くなっている床に落ち込んだりしないかハラハラする。この日だけで入場者は600人ほどいたという話なのだが、一般公開を企画したボランティア団体側も、子ども達が来ることは想定していなかったのかもしれない。子どもが中に入る際には、中で走らないようにスタッフが子どもに対しかなり強く注意していて、スタッフの勢いに押されて子どもの目が泳ぎまくっていて、少々気の毒だった。でも子どもが来るには確かにリスキーだ。子どもがいない私が言うのも何だか無責任な感じだが、親にはこういうところへ子どもを連れてくることのリスクをもうちょっと考えて、自重して欲しいと思った。
 

*1:はまはなアンテナ

*2:この刑務所が完成した明治時代といえば、囚人が強制労働に従事させられていた時期だ。確か三池炭鉱での採炭がが囚人の労働力によって賄われていた時代のはず。

*3:諫早レインボーシティという団体。ボランティア団体?

*4:刑務所内にあり、囚人が受診できる病院。医師が常駐していたらしい。病状が刑務所内の病院では扱えないほど重篤な場合は一般の病院にかかることもできたらしい。ただし、その場合は刑務官が二人24時間付き添わねばならないので、凄く大変だったらしい。また、歯科治療も受けることはできたが、こちらは有料らしい。

*5:電球ではなく、砂時計を使っていたこともあるらしい。

*6:蝙蝠の糞との説あり。

*7:受刑者が出所してから、だと思う。

*8:一般公開を知らせる告知文には「スニーカーで来て下さい」と書いてあったのだが。どうしてそのような注意書きがあったのか、サンダル来訪者はあまり考えなかったんでしょうな。