坂本弘道ソロ+谷本仰 at TATOPANI(小倉)

というわけで小倉まで観に行きました。今週末も小倉に行くというのに、我ながらようやるわ。
 会場のTATOPANIは入った途端スパイスの香りがうっときて、マンダラ(多分)とペルシャじゅうたんみたいな柄のタペストリーがかかっている。おお、カレーが美味しいらしいだけあるわ、という雰囲気。そして立派なワインカーヴが………ワイン? 本棚を見ると、アックスがズラリと並び………更に大友克洋水木しげる丸尾末広の単行本まで。食事処で丸尾末広! 読みたいけど、なんか食事待ちや食事しながら読むのはためらわれるようなラインナップだわ。丸尾末広の本を読みたかったが、こんなん演奏前に読んだら大変なことになるので、アックスの友沢ミミヨインタビューを読む。
 開演時間を15分過ぎたところでスタート。いきなりチェロに金属板*1挟んでいる。………ナニ? この後も次から次に出てくる「変なもの*2で演奏」「変な方法*3で演奏」「楽器は二台なのにエレキの力で音がいっぱい*4」等々が物珍しくて注意をとられがちだった。
 珍しい楽器もちらほら見た。開演前に「夏休みの工作みたいのんがある!」と思ったのはかの有名なハーディガーディだった……。無知って嫌ですね。
 音楽を聴いたというより、音を聴いていたような感じ。チェロを爪弾くとほわほわした大きい丸いものが次から次へと天井から落ちていくような感じがするし、バイオリンて主張の強い楽器なんだなあと知ったり。一番感じたことは、私が自分で音を出して音の感触を楽しむことや生活音に何かを感じることと、このテの音楽は何が違うのかよくわからんということだった。音楽は音の感触を楽しんだり、気持ち良い音を鳴らすところから始まっているのではないかと思うけど、それを敢えて「楽器」を使って見せる理由って何なのかなあとか考えてしまった。凄く根源的な話だが。
 音楽の根源みたいなことで面白いなあと思ったこともあって、それは谷本さんが客に打楽器を配った際、音を鳴らす客同士に何となく相互作用が生まれていたこと。誰かが速く鳴らすと速く鳴らす人が他にも出る。誰かが鳴る部位を押さえて音を変えると、同じように音を変える人が出る。まるで互いに呼応し合っているかのようで、全然知らん人なのに、何だかつながったような嬉しいような気持ちになった。ああ、こういうのって原始的なコミュニケーションくせえな*5、これもあるんだなあと思いましたわ。
 なんか演奏を楽しむというより、音楽の始まる前と音楽ってそもそも何なのかなあということばかり考えてしまった時間だった。一言で言えば「あたしには難しいことはよくわからないんですけどね(こん平師匠)」に尽きる*6
 今週末にはまた小倉に行く。今度はどんなことになるかしらん。

*1:ボコボコになったハイハットの上みたいの。

*2:マッサージ器とかアタッチメントを外した電動工具とか。

*3:逆さにしてこすったり、歯弾きしてた。

*4:エフェクタ?も1人につき4台くらい並んでいた。今時普通なのかしら。

*5:ある意味犬の遠吠えと一緒か?

*6:嵐が丘」や最後の曲のような、ドラマチックでわかりやすい曲の方が聴いてて「くる」ものがあったしなあ。