「おもしろい」とジェネレーション・ギャップ

 今、私が「客」としてよく会うのは、二十歳前後の人々である。彼らがしばしば口にする「仕事に面白さを求めない」という発言がずっと不思議だった。就職したら40年くらい、毎日8時間以上費やす作業が面白くないなんて、大変な地獄だと思うのだけど。働くことはそんな地獄だと捉えているんだろうか? 働くことは面白いことばかりではないし、やりたいことばかりでもないが、より効率の良い方法を見出したり、困難な事態の解決策を試行錯誤することはとても面白いのに、彼らは面白くないんだろうか? もしくはそのような体験がないんだろうか?
 で、今日「客」の1人と話していた時、『病気の症状を「面白い」と言う人に腹が立つ』という発言を聞いた。これで色々腑に落ちたというか、わかったような気がする。「面白い」は、彼らの間でfunny(もしくはentertainment)であることを意味しており、interestingは含まないらしい。また「面白い」は能動的に得る体験というより、受動的な体験を指すようだ。だから病気の症状を『面白い』と評することはとても残酷で、不謹慎なものと映ったらしい。違うと思うんだけどなあ。「興味を惹かれる」とか「不思議な」とか「取り組む甲斐のある」という意味で使っていると思うんだけど。
 それでは、客たちは「interesting」に匹敵する感覚をどのように表現しているのだろうか。その答えはまだ得られていない。私は「興味深い」の意で『面白い』を連発してしまいがちなので、彼らの前でこの言葉を迂闊に使わないように気をつけている最中。彼らの「interesting」を示す言葉を早く見つけたいものだし、20年の歳の差でこのように大きな言葉の世代差が生じるとはね、と驚いてもいる。