クロード・ランズマン特集上映 at 名古屋シネマテーク
平日の日中とは思えない大混雑ぶりで、13時からの回はほぼ満席。こんなに混んでるシネマテークは初めてかもしれない。立て続けに2本観たけど、どちらの映画もオープニングもエンディングも、タイトルバックすらない。最初から最後までBGMはゼロ。情趣を盛り上げるような演出は徹底的に排除した感じの作り。おかげで、「ソビブル」と「不正義の果て」どちらを観ているのか内容がそこそこ進むまでわからなかった。
不正義の果て
ユダヤ人ゲットー「テレージエンシュタット」で、ゲットーの運営(≒ナチスへの連絡)を行っていたユダヤ人リーダー『長老』の生き残り最後の一人のインタビュー。テレージエンシュタットは何となく知っていたけど、どういう性質のゲットーだったかは知らなかったので興味深く観る。テレージエンシュタットは特権階級や知識階級のユダヤ人、過去権力を持っていた老齢のユダヤ人が多く集められた場所で、模範的なゲットーとして赤十字社の視察も受けている。
『長老』は絶滅収容所に送る人や死刑にする人を選抜する役職を担わされていた。ユダヤ人は犠牲者、ナチスは加害者、という単純な位置づけで見てしまいがちだけど、この映画を観ているとユダヤ人の中にも「加害者」の要素を背負わされた人々がいたことに気づかされる。『長老』は、戦中の自分の行為を「ゲットーの生活を少しでも改善するためにできる限りのことを自分はした、仕方がなかった」「(身体障害者が絶滅収容所に送られたことについて)自分は知らなかった」と釈明していた。衛生局の責任者が身体障害者の絶滅収容所送りを知らなかったというのは無理があるんじゃ……とか色々思う。そして、「困難な状況の中でできる限りのことはした」「自分は知らなかった」という釈明は、ナチスに協力した科学者達の戦後インタビューにおける発言でもよく見られたなあ。
- 作者: ベンノミュラー・ヒル,Benno Muller Hill,南光進一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/08/06
- メディア: 単行本
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ソビブル、1943年10月14日午後4時
反乱と脱走が起きた収容所で、それらの実行者であった人のインタビュー。この人が仲間とナチス将校の殺害を企て、実行し、脱走するまでの過程を聞いている。インタビュイーはこの殺害が初めての殺人だったとか。インタビュイーが常に遠い目をして、微笑(にやにやしているようにも見られた)を絶やさないのが印象的だった。微笑んでいるのに、左口角がしばしばピクピクと痙攣している。フィリピンのルソン島でゲリラ討伐に当たった元日本兵たちもこんな感じの表情だった。語られる体験は痛ましいのに、何故か表情は微笑しているように見える。加害者でありながら被害者でもある時(もしくは被害者でありながら加害者である時)こういう顔になるのかなあと思ったりする。