愚痴の作法

 どうしようもないこと、もどかしいこと、理不尽だと思うこと、報われないこと。そういうことは多々あるわけで、それらに憤ったり、悲しんだり、適当に流したり、誤魔化したりしながら私は日々をやり過ごしている。愚痴や悪口を言うのは有効な戦略の1つだが、愚痴や悪口はほどほどにしないと心が腐る。聞いてもらっている相手との関係も腐る。という信条を持っているのだけど、どうも今週は愚痴を聞き過ぎたようで、うんざりしている。私に愚痴を聞かせた相手への愛情ゲージが明らかに目減りしていて、ちょっと付き合いを控えたい感じ。
 一方で、愚痴を聞いても嫌な気持ちにならない人というのは明らかにいる。それはどういう人なのだろうと考えていたのだけど、

  • 「嫌な話をあなたに聞かせて申し訳ない」という(言語的/非言語的)メッセージのある人
  • 愚痴を言ったり、聞いたり、持ちつ持たれつの関係ができる人
  • 最後のオチを笑いに持ってくる人

この辺が条件かなあと思う。同輩の愚痴は嫌な気持ちにならなかったのだけど、あの人は最後を笑いで締める癖のある人だったからなのだろう*1。笑い飛ばすことはとても大事だと思うのだけど、この辺は笑いのツボが合わないと上手くいかないのかもしれない。

*1:今でも印象的で、かつ大変お気に入りのエピソードは「マイケル・ジャクソン聞くといいよ!」発言