渋さ知らズオーケストラ at CLUB QUATTRO(名古屋)

 名古屋のクラブクアトロは今年で25周年らしい。渋さ知らズも25周年らしい。ほう、同い年!

名古屋クラブクアトロというところ

 仕事終了後、開演時刻ギリギリに会場へ駆け込む。矢場駅でコインロッカーを見かけたので荷物を預けようか一瞬躊躇したのだけど、まあ会場で預ければいいや、って入場したら会場内にはロッカーが無くて*1、大荷物抱えて立ち往生。うーむ、もう仕方ないこのままで行く。ホール内禁煙で、密閉式の喫煙ルームが設置されているところが21世紀風。今日は煙草の煙に燻される覚悟でいたのだけど、覚悟要らズだった。しかしチケットで交換できるアルコールドリンクが淡麗しかないのは減点ポイント。しょっぱいのう。

渋さ知らズ

 開演早々、覚醒したまま意識がフーッと遠いところへ飛んでいくような感覚を味わう。両方のこめかみに横へ傷を入れられて、その傷から頭の中身が飛び散っていくような感じ。最近根を詰めて書き物仕事ばかりしていたので、意識が自分の内側へ内側へと潜行していく閉塞感で一杯だっただけに、何だか大変楽になる。まだ仕事が終わっていないので今日のライヴに行くのは止めようかと本気で迷っていたのだけど、来て良かった。数年前に渋さが初めてイビザ公演をした時以来だから、見るのは4年ぶりだ*2。考えてみればライブハウスで渋さを見るのは初めてでステージとフロアが近すぎて全体を見るのが難しいけど、まあこれはこれで。以下、覚え書き。

  • 段取りスト不破さんがモジャモジャ頭をバッサリ切って、港湾労働者みたいになってた。
  • ツインドラムの威力を知る。
  • ぺロさん以外のダンサーは何故か巨大な張りぼてのバナナを両手に持って、始終無表情で踊っていた。何故バナナ?
    • 白塗りの人も他のダンサーも、ムキムキした筋肉はないが引き締まっている。以前、ダンサーの後輩から「ダンサーは筋肉を筋繊維を太くせずに強化するトレーニングを行うんですよ」と教えてもらったが、そういうことなんだろうなあ。綺麗だなあとほれぼれ。
  • 久しぶりの渡部さん! 初めて渋さを観た時、予想外にステージに上げられて浮足立ったのであろう祭り運営委員会*3の大学生がいると思ったらそれが渡部さんだったという。ちゃんとパフォーマーだったという。
    • 「We are 渋さ知らズオーケストラ!」とアジる渡部さん。この「We are 渋さ知らズオーケストラ!」というアジテーションは自分にとって物凄くパワフルな言葉になっている。渋さについては「客体としての渋さ」という見方があまりできなくて、私自身も渋さの一味になっているような感じ。今日来る時「We are 渋さ知らズ!」と内心呟く度に高揚する自分がいて、「いや、自分渋さじゃないし」とセルフツッコミをその度入れていた。
    • 「一週間」に歌詞をつけて歌っていた。楽しく聴いていたのだけど、週末に進むにつれてそれは市街戦の歌だと気がつき、ちょっとハッとする。
    • 「渋さは25周年、名古屋クアトロも25周年。名古屋クアトロ、渋さはどこまでもついていきますよ! 名古屋クアトロが愛媛に行くなら渋さも愛媛に。名古屋クアトロがフィリピンに行くなら渋さもフィリピンに!」はははは。
    • 「人は変わっていくでしょうけど、渋さは続いていく。今回のツアーも回る場所と同じくらい墓参りの場所がある」と言っていた。冗談めかした言い方だったけど、時の流れを考えれば本当にそうだろうなあとしみじみ。

 渋さの「コッテコテに下世話なメロディを下世話に演奏する」側面が大好きなのだけど、鳥が遠くに飛んでいくような清々しい展開とメロディが増えていて、やや脂が抜けたような印象。まあ、演奏は変わっていくしねえ。しかし最後は「本田工務店のテーマ」「ナーダム」でコッテリ終わる。「(時間の都合上)名古屋クアトロ出禁になっちゃうから」とアンコールはなし。大荷物を抱えていたので今日は踊れないなあと思っていたが、終わったら例によって汗みどろだった。隣のワイシャツサラリーマン2人組も笑顔で汗みどろ。そう、何とも踊らずにはいられなくなるんだよなあ。汗が冷えて帰りは寒かったが、物凄く楽しかった。仕事は終わっていないけど、行って良かった!

*1:ホールと同フロアのホール外にあったらしい。

*2:あの時は年甲斐もなくモッシュの中に突っ込んで行ったらスニーカーが脱げて、片足靴下で踊った記憶が……。江島さん(上海ノォトのマスター)にお会いして、予想外の遭遇に吃驚したのも良い思い出。

*3:寿町のお祭りだった。