後楽園に行く

 研修会会場の近くに後楽園があったので行ってみる。日本三景の1つに数えられた庭園なら、これは観ておかねばなるまいて。無料でボランティアガイドさんもつくというので付けてもらう。客2人に対しガイド1人という贅沢対応。「えー、ここ後楽園は日本三大名園に数えられた庭園でして……」とボランティアさんが話し始めて、後楽園は日本三景*1じゃなかったことを知る。しまった、間違えたかと思ったが時すでに遅し。でも別にいい。
 所要時間1時間くらいというのでそのつもりでお願いしたのに、1時間半経っても全部を回りきれなかった。ついでに質問しても、私の質問が頓珍漢なのか何なのか、あまりちゃんとした答えが返ってこないので*2、受動的姿勢で対応することにする。以下、思ったことや印象に残ったことなど。

  • 季節の折々で様々な花が開花し、人の目を楽しませてくれるらしいのだが、今回は「梅の花がほぼ終わり・桜はまだ」というちょうど端境期で、おまけに芝生も養生のために焼かれた直後で庭園に色はなく、荒涼とした景色だった。
  • 後楽園は岡山城主である池田一族によって迎賓館として使われた施設らしい。客人が後楽園内の屋敷・延養亭に通されると、殿様は後楽園に隣接する城から船で延養亭に乗り付けたらしい。客間から殿様がやってくるのが見られるような造りになっているらしい。殿様がやってくる堀の部分は蓮が沢山植えられているとのこと。ということは、季節が良ければ客人は「蓮の花咲く間から、船でゆるゆると乗り付ける殿様」を見ることになったわけか……。その演出の過剰さに、ロックスターかよ、と思わず内心ひとりごちる。「バイクでファンの間をステージ入りする」みたいだ。
  • 庭園内には水田や畑もあったそうなのだが、財政難になると潰して芝生にする傾向があったらしい*3。水田や畑の方が維持費がかさむ故の措置らしいが、財政難なら自給自足にする方が良さそうなのにそうではないのだな。不思議。
  • 参勤交代で殿様が江戸に行っている時は、延養亭に領民を招き入れて行事を行うこともあったらしいと聞いて物凄く驚いた。随分屈託のない殿様だったのだな。
  • 園内のあちこちにある建物は市民への貸し出しも行っている。予約制で、それほど高くない金額で借りられるために同窓会などでの利用もあるとのこと。
  • ボランティアガイドは賃金は出ないが、市内の様々な催し物の参加費やサービスの利用料が格安になるとのこと。2年で終わりなんだそう。
  • ボランティアさんが「後楽園と私」というテーマの話を挟んでくれたら面白いのにと思った。後楽園の(超私的)近現代史が一市民の目から語られるのって魅力的だけどな。

*1:日本三景は松島、天橋立、宮島でしたね。

*2:看板に書いてあること以上の話はしないし、どうかすると看板よりも話す内容が乏しかったりする。ボランティアで行っているガイドさんらしいので、そこまで期待する方が無茶かなとも思う。

*3:では何故わざわざ水田や畑を作ったのか?と思うのだが、「シモジモの者の暮らしぶりを知るため……」だったらしい。庭園の中の田畑でシモジモの者の暮らし方がわかるわけないだろ、と思うが、マリーアントワネットの農業趣味みたいなものなんだろうか。