萌えとイタさと
maki-ryuさん(ヅカファン)とこのブログが久しぶりに更新していた。そしてシビレタ。
(前略)
一般のヅカファンに「宝塚ファンってのは家でぴらぴらのピンクのムームーみたいなのを着て、DVDを見ながらマリー・アントワネットがお嫁さんに憧れて歌う劇中歌*1を歌っている、イタイ行かず後家」だというイメージが植え付けられたとは思いますが。
望むところです。
自分がそういうふうに「イタイもの」として見られていることなんて気にならない人がいる。
そこにミラクルを感じるべき。
(あたしはレズビアンと思われてもいいのよ・9/4の日記「「萌え力」のある人」)*1
上記は高橋真麻さんというヅカファンの人について書いている箇所。好きなものに入れあげている様子というのは大抵こっぱずかしいことになっているものだが、この明るさ、突き抜け方。何だよカッコいいぞ。一生懸命クールにしようと努めているのに、好きだというのが漏れ出でていて、結局こっぱずかしいことになっていると指摘された私としては羨ましい限り。
ちなみにmaki-ryuさんの入れあげ方にも、イタイと感じたことはない。それなのに対象に対する愛情は伝わってくるのでつい和んで、しかも書かれている対象に興味を持ってしまう*2。これは結構不思議なことで、何が違うのか色々考えながらこの記事を書いているうち、『入れあげている対象をクールに見るのではなくて、入れあげている自分をクールに見られるかどうかが、こっぱずかしく映るかどうかの分かれ目なのかしら?』とちょっと思った。