はじめに

hamahn2006-03-30

 医療保険を申し込んだことをきっかけに普段ちらちら考えていたことが、グーッと文章になりそうな感じになったので書いてみた。でも長くて読みにくいので便宜的にサブタイトルをつけて幾つかに分けてみた。むやみに文字の多いブログって読みたくないからねえ。そこでここぞとばかりに写真で気持ちを和ませる作戦を発動。今日どうしても食べたくなって食べたワンタンメンの写真など貼り付けてみる。和むかしら?*1

医療保険を申し込んだ

 私ぐらいの年代だと交通事故が死因の第一位なので、交通事故に遭った時の対処メインで選んだ。保険に入ったりすると、大人度がアップしたような気がするねえ。ヒュー。って、はしゃいでいるあたりがまだまだ人生一年生。
 交通事故で死ねばそれはそれであっさりしたものだが、問題は障害が残ったまま生きなければならなくなった時だと思っていて、「障害1〜3級と認定された場合はウン万円出ます」というのにした。私は身体障害者手帳の等級なら少しイメージできるけど、保険の場合は労災認定の基準による等級だというので、どんな内容か見せてもらう。ざっと見た感じ、1〜3級は働くことは困難だというレベルの障害のイメージだった。対応してくれた社員の方に、そのままの印象を伝えると「1〜3級というと『経済的死亡』と言われるレベルですからね」と返される。私がこの等級に認定される障害を受けたら、保険金は出たにしても、このレベルではどうやって生活していけば良いのか今はイメージできないと思った。結構怖い。

不安への対処案

 「障害を抱えながら生きていかなければいけなくなったらどうしよう」ということを私はしばしば考える。現実的に今起こる可能性が十分にあることだし、これを考える度に私はとても怖くなる。
 怖くなる度「もしそういう事態になったら、まずは自分の葬式代とドグラマグラを実家に呼ぶ*2お金を貯めることを目標にして生きよう。貯まったら、その後で自分の生死をどうするかを考えることにすればいい」と思うことにしている。授産施設の収入ではほとんど手元に残らないであろう、とも思うけど、少なくとも生きる楽しみはできるだろうから。こう考えると怖さは和らぐ。


死ぬことを自分で選択できること

 様々な生物の死の上に私の生は成り立っているので、私が生きるために死んだものたちに対してあまりにも失礼だから、基本的に自殺はしたらいかんと思っている。それでも、絶望的な状況に自分が陥った時、死を選んでもかまわないのだ、と思うことは私を安心させる。
 しかし自殺したらそもそも葬式を出してもらえるんだろうか。自分で自分の葬式を出すというわけにはいかないからねえ。あとドグラマグラを呼ぶにしても、来てくれるんだろうか。ドグラマグラのバイオリン奏者である谷本さんは牧師さんらしいので、来てくれないんじゃないかという気もする*3。それを考えるとこの「まずは自分の葬式代とドグラマグラを実家に呼ぶお金を貯めることを目標にして生きよう。貯まったら、その後で自分の生死をどうするかを考えることにすればいい」という案はそこが致命的に駄目なんじゃないかという気もするのだけど。

おまけ

 自殺の場合は「死亡による保険金」はおりないらしい。初めてはっきりと確認した。そうだよねえ、だから事故に見せかけた保険金殺人事件が起きるわけだよねえ。今まで知らなんだ。




 

*1:私は和んだ。

*2:私は葬式の時に、ドグラマグラの演奏で送り出して貰いたいと考えているため。

*3:確かキリスト教って自殺者の葬式は出さなかったような?