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(前回までのあらすじ)原田正純氏の著作に興味を持ち、医師である氏のメインの仕事、水俣病に関する氏の著作を読んでみようと思ったのだった。

水俣病 (岩波新書 青版 B-113)

水俣病 (岩波新書 青版 B-113)

証言水俣病 (岩波新書)

証言水俣病 (岩波新書)

一気に水俣関連本3冊読んでみた。最後の本は原田氏の著作じゃないけど、2004年に出た水俣病本ということで、公害が起こってから30年以上経ってから出版されている点に興味を引かれて手に取った。

  • 汚染前の水俣湾の美しさについての記述が印象的だった。ちょっと出かければ、すぐに牡蠣でも魚でもタコでも取れる海というのはちょっと想像つかないが、それが60年くらい前までは本当にあったことを高齢者施設の利用者から聞いて知っている。なんて贅沢な生活!と羨ましかったのもよく覚えている。


  • 病気の症状の悲惨さよりも、患者の社会生活の破綻に関するエピソードの方が恐ろしかった。家族が皆やられていく(一家で同じ食物を食べているから)、伝染病疑いをかけられて差別され、補償金を貰って差別され、……元々大してお金を持たず、毎日働いていればご飯を食べられるという生活を送ってきた人達、地域に密着して生きてきた人達が、働けなくなって地域から差別を受けることの辛さを考えると背筋が寒くなった。それってほとんど死に近いよな。そして、差別した人達もやがて発病していく件はどうにも悲しい。


  • チッソが海に流す工場排水のろ過装置を設置、運転開始時に社長がろ過装置を通過した水を飲んで見せたパフォーマンス*1水俣周辺の魚が売れなくなったので、知事が安全アピールのために魚を食べたパフォーマンス等は、笑えないが笑える話だった。カイワレとか牛肉とかメロンとかで、近年も見ましたなこのテのパフォーマンス。昔からある安全性アピールの方法なのね。


  • 企業の対応の仕方*2がもう漫画の悪役みたいで現実感がなかった。でもホントにしたんだよなこれ。


  • 患者申請や補償の動きが始まってからしばらくの間、実は在宅の患者やその家族たちにその情報そのものや、手続きの仕方がちゃんと伝わっていなかったという話は考えさせられた。必要としている人に、どうやって必要な情報を伝えるかというのは昔から行政の大きな課題なんだと師匠に聞いたことがあるのだが、その実例を見たような感じ。


  • 2004年に出た本は、患者のインタビュー集だった。言葉の響きが心地良かった。



 今、こんな露骨で極端な形で何かの汚染が露呈することはないだろうけど、もっと巧妙に、企業責任や行政責任を問われないように手を打ちながら汚染は進んでるんだろうなあ。BSEとかさあ。牛に肉骨粉は食べさせなくとも、豚や鶏には食べさせているというし。牛で禁止になった分が他の家畜に回ったりしてるんだろうなあ。
 原田氏は85年の「水俣病は終わっていない」で、長期にわたる微量汚染の影響、汚染から長期経過後の発病可能性、複合汚染の危険性などを指摘していた。20年も前から言われていることだったのねえとちょっと遠い目になる。

*1:実はろ過装置に有毒物質の除去機能はなく、社長のパフォーマンスはいんちきだったことが後から判明。

*2:わずかな補償金を払って、今後は一切訴えないと念書に判を押させる・原因が工場排水であるという見解が強まると、見解を撹乱するような論文を別の研究者に発表させる・患者の要求に回答せず、抗議のために患者が座り込みをすると社員を使って暴行、力づくで排除する、など