タルコフスキー生誕80周年記念祭 at THEATER CIEMA(佐賀)

 何故かここ最近のマイブームである教養主義の一環として観に行ってみた。ノスタルジアは客5人、惑星ソラリスは10人くらい? 大スクリーンでぶっ通しで*1映画を観る楽しさよ。ホントciemaは(絶滅危惧種)地方ミニシアターにおける希望の光やで……!

ノスタルジア

 冒頭のセピア色の風景が物凄くエキゾチックだと思ったら、それはロシアの風景だったらしい。霧でかすむ湿地?の風景はひんやりとした空気まで伝わってきそうだったが、本当にそうなのかはわからない。行ってみないとわからないことは沢山あるなあと思ったりする。あと、雨の音、水の音が心地良くて困った。雨の音をバックにして、壁の塗装が剥がれかけた古い部屋で質素なベッドに横たわる主人公の場面など、つられて眠くなるに決まってる! ここは踏ん張ってウトウトするだけに止められたが、次の「やはり雨音が聞こえる廃墟同然の建物の中で、意味の捉えにくい対話」の場面ではついに耐えきれず爆睡……。最早観客を眠らせるつもりで作ったんじゃないかとさえ思えて、製作者の悪意すら感じた。次に目が覚めたら痴話喧嘩の真っ最中で、さっぱりワケがわからなくて困った。

惑星ソラリス

 次の展開に目を離せなくて、普通に面白く観られた。SF、配偶者(家族)との関係性の再構築、人間のアイデンティティ、ホラー、どんなジャンルにも展開していけそうだけど、拡げた風呂敷をどう畳むのかと思っていたら……。水の映像が綺麗という前評判を聞いていたが、映像の美しさではノスタルジアの方が私は好き。人類愛の難しさや宇宙開発の是非、科学の倫理というテーマは、この映画が作られた時代(1970年代)ならではかなーと思った。あと、最後のシーンは意表を突かれた。「お湯? 何故お湯が?」と思ったら、まさかそんなオチとは。

2本を見て思ったこと

 タルコフスキーの映画の長さはつくづくロシア的だと思った。以前ドストエフスキーの小説についても書いたことだけど、長く寒い冬を過ごすから、あんな長いもの作っちゃうんじゃないか。で、すぐに本題に入りたがる(探したがる)性急な自分の癖は、今のこの時代を生きる日本人としての私の癖なんだろう。
 また「惑星ソラリス」を見ている時、身近な人との関係性や人間と非人間の差異などのテーマに引き寄せられていく自分を感じることが度々あった。これは人間の内部に関わるような小さいテーマが私にとって馴染み深いテーマであることを示していると思う。人類愛を真剣に悩んだことなんて、少なくともここ10年はないと思う。卑小な世界に生きてるな……。生まれ育った風土、文化、時代から人は逃れられない、という命題を再度頭の中に巡らす時間であった。

*1:DVDで自宅で観ると、自分の都合に合わせて中断できてしまうのが難だと思う。