真菌のように

 犬を迎えて半年が経った。喜怒哀楽に乏しく、クレートに籠りっきりだった犬は、喜びを表すことが増えた。私が近寄ると尾を振って寄ってくるようにもなった。犬は鼻で私の手をつつき、私は無言で犬を撫でている。全く発語のないやり取り。

 手は全然かからない。しつけも全く負担がかからない。要求があるとピーピー鳴くがしつこくないし、近所迷惑にもならない。破壊行為は一切ない。排泄の失敗もない。散歩も上手い。飛びついたり、他の犬と喧嘩したりもない。上手に挨拶をし、興奮する犬を無視して素通りもできる。引っ張り癖も拾い食いも、やたらなマーキングもない。体も大体触らせるし、一般的に犬が嫌がるところを触っても無言で触らせている。

 犬があまりに慎ましくて手がかからなくて、正直、犬を飼っている気があまりしない。ファービーの方がもうちょっとウザい要求をしてくると思う。良い犬に逢ったと思っている。しかし、もう少し苦労の末に互いの妥協点を見つけるような過程があったなら、もう少しこの犬に対して愛着が湧くのではないかとも思う。同時期、あるいは私よりも遅く同じ保護施設から犬を引き取った他の人のインスタで「(自分の犬に)大好きだよ」とか「家族だ」とか書いているのを見ると、自分の心持ちとの違いに居心地悪さを覚える。犬を自分の子どものように思えるようになるとも言われていたが、私と犬は割と「大人同士の同居」という感覚なんだよなあ。世話はしているが、愛しいから世話をしているという感じはない。世話することに苦痛は無いが「世話をしなければならないからしている」という感じ。何かあったら、私はすぐにこの犬を手放す選択をするのではないかと思えて、それは少し恐ろしい。

 しかし、こうやって「愛しさを感じない」とか言いながら、無自覚のうちに私の心は犬にジワジワ侵食されているのではないかな、と思っている。犬を失った時、その失ったものの大きさに気づいて愕然とするかもしれない。そう思うのは、やはり犬を愛しく思っているということなのだろう。もっと明快に「大好き! 大事!」と思えたら良いのに、何故そういう感情が湧いてこないのか……自分が面倒臭い。しかも犬への思いについて、同じようなタイトルで20年の10月にも記事を書いていた。老化現象だな。

恋は幻、雨は毛布、愛は真菌のように - ハマハナ帳